工場のこと 2

© Yumiko Sakuma

 とある日本の工場を使うアメリカ人デザイナーに同じ質問をして、こんな答えが返ってきたこともあった。

「クオリティの高さももちろんですが、日本の工場だと、エシカル(倫理的)な方法で工場が運営されているかどうかを心配する必要がない、ということもあります。もちろんその分、コストは高いのですが」

 安い製造業をウリにする国々より人件費が相対的に高く、かつ円という通貨も強いために、日本でのものづくりにはお金がかかる。そして、高いコストが商品の値段に反映されるから、必然的に高級品のカテゴリーに入る。それなのにアパレルの世界で日本製が注目された背景には、こうしたデザイナーたちからの訴求と、消費者が自分たちの払うお金に対して求めることに起きているシフトがあるのだろう。これまで述べてきたようにファストファッションの登場と躍進のあとに、反動がやって来た。安い=粗悪品というイメージが再び新たなかたちで登場し、また「安い」が意味することのダークな側面がクローズアップされるようになった。同時にブランド信仰の時代が終わり、クオリティの裏付けのないブランド品から消費者の心が離れた。その代わり、払うお金に対してよりわかりやすいバリューが求められるようになった。そのバリューの中には、「素材や縫製にまつわる商品のクオリティ」「エシカルな方法で作られていること」といったことが含まれる。こうしたことがすべて「メイド・イン・ジャパン」熱につながったのだろうと思う。

 一方で、アパレルの生産の現場からは、日本の工場が今後どれだけ長いあいだ、このクオリティを維持できるのかを懸念する声も聞こえてくる。 日本の工場が誇ってきた技術は、その現場で働く人たちが手を使って実現してきた。同時に、日本が「豊かさ」を追求するなかで、工場で働くということが「汚い」「キツイ」「危険」の3Kで表現されるようになった。近年のものづくりブームによって、工場で働くことにつきまとうイメージはわずかに改善されてきたとしても、工場で働く道を希望する若者がそれほど増えているとは思えない。

 日本の工場を訪れると、そこで働く人の年齢層の高さにはっとすることがある。若い人を雇い入れても、技術を習得する前に辞めてしまうーー工場の経営者からは、そういう話をたびたび耳にする。日本の工場とアメリカのアパレルブランドのあいだに入って仕事をしているときに、前の年にできたはずのことが、職人さんの引退でできなくなった、そんな事態に直面したこともある。

 今、多くの工場では、国内の人口で労働力を賄うことができず、東南アジアや中国から就労ビザを取ってやって来る外国人労働者に依存している、という話もよく聞く。実際のところ、日本が築いてきた技術力を維持できるのであれば、ミシンを踏む人の国籍は何だって構わないと思うのだが、現実的に、入管法改正後でも外国人のビザが最長5年であることを考えると、メイド・イン・ジャパンへの需要が拡大したところで、これまでのそのブランドを支えてきた技術力がこれからも踏襲され続けると考えるのはナイーブだろう。こうしたことが、外国人労働力や入管法にまつわる議論の中で触れられることはめったにない。

 日本の工場は今のところ、高いクオリティの商品を作る技術を持っていて、かつエシカルな方法で運営されていると目されている。そして、国内外に存在する「日本でものを作りたい」と思う人たちと、ものづくりを続けようという工場の人たちによって、「メイド・イン・ジャパン」の火は燃え続けている。私が、日本にいるときにはなるべく日本製のものを買う、と決めているのには、こういう理由がある。

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Text by 佐久間 裕美子