工場のこと 1

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 工場や生産地の取材をするうちに、何かを買おうとするときラベルをひっくり返して生産地や素材をチェックをする癖がついた。

 けれど、前に書いたように、LLビーンのショーン・ゴーマン会長との会話で「中国でしか作れないものがある」ことを教えられて、はっとなった。生産地を確認するなかで、いつしか「メイド・イン・チャイナ」を避ける癖がついていた。

 モノの生産地が議論になるとき、ダメの代表格といえば「メイド・イン・チャイナ」だというイメージがある。けれどそもそも中国産は無条件にダメだ、と考えるのは正しいのだろうか? 中国産は何がいけないのだろうか?

 ひとつにはまずクオリティの問題がある。中国が製造・輸出大国に成長した理由は、安価にモノを、それも大量に作るインフラを作ったからである。「安く」を優先してきたから、クオリティは低いとされてきた。衣類であれば、縫い目が荒かったり、すぐにほどけてしまったり、そういういうことだ。

 労働環境の問題もあった。ニューヨークを拠点に活動するデザイナーの一人とした会話を思い出した。独立する前、アメリカの大手アパレルブランドの社内デザイナーだった彼は、中国の工場を定期的に訪れるうちに、アメリカの工場でモノを作らなければいけない、と思うようになったと教えてくれた。

「クライアントであるブランド側には、非倫理的な労働環境を許さないためのルールが敷かれている。けれどその条件の対象にならないところで、非倫理的なことはいくらでも起きている。たとえば工場の温度とかね。働く人たちが惨めな思いをしながらモノを作っているようなところで、魂のあるものは作れないと思った」

 自分はそういうことにできるだけ加担したくない、そういう気持ちで「メイド・イン・チャイナ」を避けてきたところもある。

 ところが、ショーン・ゴーマンが言うように、アメリカの工場が作るのを止めてしまったもの、中国でしか作れないものもあることを考えると、事はそれほどシンプルではない。最近では中国の工場でも、クオリティを売りにするところが出てきた、という話も耳にする。通貨のバランスが変わってきたこともあり、以前ほど「安い」を売りにできなくなってきた、というのだ。となると「中国産=粗悪」と決めつけることは早急だということになる。

Text by 佐久間 裕美子