台湾の歴史的ビジネス街・迪化街、挑む「保全」と「生活」の絶妙なバランス

迪化街の最北端にある「迪化街十連棟」。観光スポットであるとともにオフィスや小売店が2階に並ぶ(筆者撮影)

 築百年を超える建物での暮らしを想像してみてほしい。日本では、木造のわらぶき屋根の古民家をイメージするだろうか。台北の西側、淡水河周辺の「大稲埕(ダーダオチェン)」は、2000年に「大稻埕歴史的特色専用地域」に指定され、景観保護の観点から、家のリノベーションや保全に、市や政府の厳しい目が光る。

 筆者はこの迪化街(ディーファージェ)で家業を営みながら、3世代4家族が住む大家族に図らずも嫁ぐこととなった。20年にわたり夫の実家に滞在するたび、家業を営みながら、大所帯で歴史的建造物を維持する大変さを垣間見てきた。今ではリノベーションに数年の歳月が及ぶこの地域で生活を営むことの実態に迫る。

◆かつて台北の商業ビジネス中心地だった大稲埕
 現在は台北の「観光地」として多くの人が訪れるエリアだが、淡水河を中心に人やモノが行き交っていた清朝後期から日本統治時代は、文化、社会、経済を牽引(けんいん)するビジネスの中心地だった。しかし戦後台湾全土で開発が進むなか、1990年代を迎える頃には、現在の「台北101」が建つ台北の東側である「信義地区」に台北の中心地の座を奪われた。

 1980年代から台湾は急速に近代化しており、迪化街に関して「商業利益を最大化する欲望派」と「歴史保全派」との間で激しい論争が巻き起こったという。最終的に迪化街の古い建物保全派の意向が支持され「大稻埕歴史的特色専用地域」制定に進んでいった。

 元々大稲埕地区の住民たちは、1、2階を事業の事務所や店舗として利用し、1階の奥部分や2、3階を住居とする、仕事と生活の場が一体化した生活スタイルを持っていた。だが、昨今建物の保全・保護の観点から、街の様子は変わりつつある。

 卸売を中心とした家業を営みながら住み続ける住民が減り、小売や飲食店が立ち並び、今では「歴史を伝える観光名所」といった街に変貌しつつある。

迪化街の中心にある永楽市場前では、プロによる撮影はもちろん、
中華服を着て記念撮影を楽しむ観光客の姿もよく見かける(筆者撮影)

Text by 寺町 幸枝