自分の街の話

© Yumiko Sakuma

 そんな場所に住んで気がつけば10年近くが経った。そして、ここに住みながら、作り手や新たなビジネスを取材してきたことが、おのずと、自分の消費行動や考え方、生活スタイルに大きな影響を及ぼしてきた。他の場所にいても何かが必要なときには、直近の大手の店よりも個人経営の店で物を買おうと、少し歩いたりするようになる。予定外の買い物をしたときに、袋を持っていないと少し恥ずかしい気持ちになる。

 中でも大きな変化のひとつに、オンラインでめったに買い物しなくなったことがある。自分がいつも旅をしていて、行く先々で作り手たちを取材するたびに彼らから直接モノを買うことができる立場にあることもあるが、それより何より、アマゾンの存在が大きい。

 ニューヨークにはかつて、バーンズ&ノーブルやボーダーズといった大手チェーン系書店が個人経営の本屋を閉店に追い込む時代があった。大手書店はどんどん店舗を増やしたけれど、不景気がやって来ると不振に追い込まれて、多くの店舗を閉店する羽目になった。ボーダーズは破産して閉業に追い込まれた。その結果、ニューヨークの多くのエリアから書店が消えた。

 それと入れ替わるように、リーマンショックからの回復局面に入って2010年前後から、小さな書店が雨後の竹の子のように多数登場した。前述の〈アルケストラトス〉のようにジャンルに特化した付加価値のある店や、〈ワード〉のように周辺地域のテイストに合わせた床面積の小さい店が、輝きを放つようになった。本屋が次々と姿を消していくのを一度体験した住民たちは、新しく登場した店を大切にするようになった。本屋は著者を招いたイベントやアートショーを開催して、地元コミュニティとのコネクション強化を図っている。それでもいまだに、老舗書店が閉まるというニュースをときどき耳にする。

 私もいっとき、特にリーマンショック以降、アマゾンを多用していた。アマゾンで本を買わなくなった理由には、リアル書店で買わなければ本屋はなくなってしまうと思ったということもあるが、この企業に段階的に嫌気が指したからだった。その最初は、アマゾンが「プライスマッチ」というプログラムを始めて、アプリに実店舗で見かけた商品名とその価格を打ち込むと、アマゾンがその価格を保証するというサービスを始めたときだ。ユーザーを使って個人商店の価格を把握しながら、その商売を奪おうというその姿勢に、腹が立った。古本の類は逆にアマゾンで出品者を探し、見つけた古本屋やディーラーから直接購入するようになった。

 嫌気のもうひとつのきっかけは、同じビルに暮らす友人のマーヴィンが「もうアマゾンから買い物はできない」と宣言したことだった。黒人のマーヴィンは、アマゾンが極右サイト「ブライトバード」に広告を出しているのを問題にしていた。黒人の公民権に反対するブライトバードに広告を出している会社から物を買う——そのことが間接的に極右思想に貢献してしまうのだ。私たちの暮らすビルにアマゾンのロゴの入ったダンボールが届くことは、マーヴィンの感情を傷つけることと一緒なのだと理解した。

 それでも、電化製品などのレビューを見るのにたまにアマゾンを使っていたが、最近ではそれすらもしなくなってきた。多くの売り手が人を雇ってレビューを書かせているのを知ったし、それ以前に、サイトには情報が多すぎて、近所の電気屋に行ってあれこれ聞いたほうがよっぽど早いという結論になったのもある。(続く)

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Text by 佐久間 裕美子