アフリカから略奪した文化財を返還へ 欧州で進む議論と課題

ドイツの美術館が保有するベニン・ブロンズ|Daniel Bockwoldt / dpa via AP

◆略奪されたアフリカの文化財
 ベニン王国は、現在のナイジェリアのエド州にあるベニン・シティ(当時の名はエド)を首都に栄えた西アフリカの王国の一つ。ナイジェリアの隣国である現在のベナン共和国(Benin)は、旧ダホメ王国に由来する国で、ベニン王国とは地理的には関係ない。ベニン王国は、海岸に面した王国として、15世紀以降の欧州と西アフリカ内陸部との貿易を統制管理する役割を担った。19世紀、英国は植民支配を本格化させ、貿易拡大を目論みたが、使節団がベナン王国の人々によって殺害された。その事件を受け、1897年、英国は軍を派遣し、ベナン王国を襲撃。国王は捕らえられ、多くの人々が殺害された。その際、英国軍は王宮を破壊し、大量の彫刻や王国の装飾品(regalia)を略奪した。装飾品は王宮の柱などの装飾に使われた真鍮の飾り板(plaque)などが含まれる。このとき略奪されたさまざまな文化財が、現在、ベニン・ブロンズ(またはベニン・プラーク)と総称される。素材は銅に限らず、真鍮、象牙、木材などが使われている。英国に持ち帰られたベニン・ブロンズはその後オークションにかけられ、欧米を中心に世界各地の美術施設のコレクションとして所蔵された。(Khan Academy

 略奪されたベニン・ブロンズの総数は明らかではないが、3000点以上はあったとされている。英オックスフォード大学教授であるダン・ヒックス(Dan Hicks)は、著書『The Brutish Museums: The Benin Bronzes, Colonial Violence and Cultural Restitution(訳:野蛮な美術館:ベニン・ブロンズ、植民化の強奪、文化財返還)』で、ベニン・ブロンズを保有している世界各国の161の施設のリストを公表した。本のタイトルで大々的に皮肉られた大英博物館(The British Museum)は、900点を保有している。リストのうち、45が英国の施設、38が米国の施設で、ナイジェリアにある施設は9つ。リストには大阪の国立民族学博物館も含まれている。(Art News

 ベニン・ブロンズに限らず、アフリカの文化財返還をめぐる動きは、欧州各国を中心に広がりつつある。ベナン共和国は2016年、フランスに対して文化財の返還を要求した。フランスに対して要求を出した、アフリカ初のケースである。フランスは当初、1566年のムーラン王令の解釈に基づき、国家が相続した遺産を引き渡すことは不可能という回答を示したが、2017年、エマニュエル・マクロン大統領は西アフリカ諸国を訪問中に、フランスが保有するアフリカの文化財返還に向けての動きを進めるという意思を表明した。その後、大統領勅令を受け、2018年にはフランスが所有するアフリカの文化財返還を促す調査報告書が発表された。該当する文化財の大部分を保有するパリのケ・ブランリ美術館については、所蔵するアフリカ関連作品の9万点のうち、4万6千点が植民地時代に「取得」されたもので、つまり返還されるべき作品である。その後、2020年11月に、セネガルおよびベナン共和国に文化財を返還するための法案が可決された。これを受けて、ベナン共和国に26点の文化財返還が実行される見込みだ。

 ドイツやフランスで大きな動きが展開しているものの、実際に文化財が返還されたケースはまだ限られているようだ。2014年には、英国人のマーク・ウォーカー(Mark Walker)が、遺品として保有していたベニン・ブロンズの作品2点をベニン王族に返還した。ウォーカーは、1897年の襲撃に参加していたハーバート・ウォーカー大尉(Capt. Herbert Walker)の孫にあたる人物である。また、スコットランドのアバディーン大学は、保有するベニン・ブロンズ1点を返還することを発表した。もっとも多くの文化財を所有する大英博物館は、ベニン・ダイアログ・グループの所属メンバーではあるが、政府の動きは鈍いようだ。

 文化財の返還は、外交交渉や法整備など政府レベルの動きが必要である一方、作品を取り扱う文化関係者の現場レベルでの合意も難しく、返還の動きは迅速には進まないというのが実情のようだ。欧州側は、返還ではなく貸与というかたちも視野に入れているが、アフリカ側は当然のことながらアフリカ側に所有権があることが大前提であるという姿勢だ。そのうえで、すべての返還もしくは一部が欧米に残されるというのが、アフリカ側にとっては理にかなった選択肢であるようだ。また、大量の文化財を受け入れ、保管するための美術館などのインフラ不足を懸念する声もある。一方で、欧州が「美術品」として保管してきた品々は、そもそもは人々の営みや行事などで使われてきたものであり、必ずしもガラスケースに入れられて「閲覧」される対象ではないという意見もある。欧州側の「スタンダード」に基づいた交渉は、アフリカ側に新植民地主義とも解釈されかねない。

 しかしながら、アフリカの文化財をめぐる問題は、返還の方向に進むことが予測される。今回のドイツとナイジェリアの事例のように、受け入れ側のインフラ整備が同時に進むことで、「世界遺産」としてのアフリカの文化財が、アフリカの地で引き継がれていくという新しいモデルが構築できれば、返還の動きが加速するだけでなく、アフリカにおける新しい文化芸術のエコシステムの形成につながるのではないだろうか。

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Text by MAKI NAKATA