自分はどんな消費者になりたいか 3

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34 最終回

 ここまで描写してきたような時代に生きている、ということは、私個人の消費活動、生きることにまつわる考え方に大きく影響を与えている。

 日々使う電話やインターネットから、乗る飛行機まで、様々なサービスを提供する企業から、政府や自治体まで、自分のお金が紐づいた組織が、マイノリティをどう扱っているか、どんな商行為をしているか、どんな環境対策を取っているか、その方針を知ろうと努めるようになった。自分がお金を払う企業に、意見やフィードバックを伝えるようにもなった。従業員やベンダーの苦しみや、無尽蔵な環境破壊に自分ができるだけ加担したくない、という気持ちもあるが、ここ数年のアメリカを見ていて、顧客の声や消費者運動が社会を動かすことがあると信じられるようになったことも大きい。

 自分の口に入れるものは、生産地がはっきりしているものを、中間業者のコストを使う大手のスーパーではなく、近所のマイクロ商店やファーマーズ・マーケット、農家から直接買うよう心がけるようになった。食関係のリコールが相次ぎ、今後の食糧危機が予想される中で、大企業の利益優先主義への不信感が増したこともある。それに、自分の元を離れるお金は、できるだけ自分の暮らすコミュニティで循環してほしいと思うから(これは日本、特に東京だととても難しい)。

 汚水に流す洗剤類に入っている内容物を吟味し、また、食器類もなるべくリユーザブルなものを持ち歩いて、捨てるゴミを精査するようになった。なるべく古い物を使い、新しい物を買うときには、袖を通す服の生産地や素材を確認するようになった。〈スロー・ファクトリー〉のセリーヌ・シーマンが指摘したように、消費者レベルで小さな努力を積み重ねたところで、気温の上昇を食い止めるうえではほとんど意味はないと知りつつも、消費者たちがまず動かなければ、企業が営利活動の方向性をシフトする可能性を上げることはできないと学んだから。

 山にこもって隠遁生活でもすれば、自分の手による環境インパクトを最小限に食い止めることができるのだろうが、そういうわけにもいかない。なにより欲がなくなったわけではないのだ。

 ただ、自分の欲の方向性が変わった。メイド・イン・ジャパンやメイド・イン・USAの物、それも、大手のブランドや企業が作るものではなく、自分が行く先々で出会う小さな作り手が手を動かして完成させた物、または古いガラクタとも呼べるような使い込まれてきた物や衣類に向かうようになった。その日、その場所に出向いたことで生じた作り手や物との出会いにロマンを感じることもあるが、物を買うという行為を正当化する、何らかの必然性を求めてしまうようにもなっている。

 何も私がユニークな存在であるわけではない。アメリカの消費カルチャーを今動かしているのは、環境意識が強く、自分がお金を払う対象の企業の方針に厳しい、ミレニアル世代である。

 賢い企業やブランドはこうしたことに気がついている。利益の一部を社員、コミュニティ、社会に還元する、リサイクル素材を転用する、社会の革新を企業方針に盛り込むなどしながら、消費者のブランド・ロイヤリティを構築することに成功し、消費者の側からの企業やブランドの社会性への訴求が強くなっていることを証明している。

 こうした消費者たちからの訴求が、今、ブランドや企業のあり方にも影響を与えている。そしてそこに巨大なビジネスチャンスがある。この世の中に溢れる問題の一部になるのではなく、解決策の一部になろうとすることにビジネスチャンスがあるのだ。

Text by 佐久間 裕美子

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