チョコレートから学ぶこと

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 「サードウェーブ・コーヒー」が生まれると、コーヒー豆の栽培方法やロースト方法へのこだわりを追求する人たちが、世界のさまざまな場所で、コーヒーの提供方法を多様化する「スペシャリティ・コーヒーショップ」をオープンした。そして、有機的な農法で栽培された作物を、フェア・トレードまたはダイレクト・トレードを通じて農家から購入し、自分たちのやり方で加工して商品を提供するというその精神は、他の分野にも飛び火した。

 そんな分野のひとつにチョコレートがある。近年、「ビーン・トゥ・バー」という言葉をよく耳にするようになった。チョコレートの原料であるカカオを、コーヒー豆の産地でもあるアフリカや中 南米、東南アジアの農家から購入し、 豆の選別から成形まで、自分たちの手でチョコレートに加工するという「ビーン・トゥ・バー」の手法は、それ自体、何も新しいものではない。19世紀に創業したカリフォルニアの〈ギタード・チョコレート・カンパニー〉のように、「ビーン・トゥ・バー」の定義に則った製法を行なう老舗は常に存在したが、2000年代後半から、シングル・オリジンの(ひとつの産地で作られた)カカオを、できるだけ少ない素材を使ってチョコレートにする少量生産の「ビーン・トゥ・バー」メーカーが登場し、アルティザン(職人)チョコレートのムーブメントが起きた。

 アメリカでは、2006年にブルックリンでチョコレートを作り始めた〈マスト・ブラザーズ〉、2010年にサンフランシスコで創業した〈ダンデライオン・チョコレート〉などが「ビーン・トゥ・バー」のコンセプトを世に知らしめた。ミルクやココア・バターなど、既存のチョコレートに使われてきた原材料を排除し、カカオと砂糖の組み合わせにこだわった、甘いだけではないグルメ系のチョコレートが、板チョコ10ドル前後という価格で店に並ぶようになった。

 こうやって生まれた新世代のチョコレート・ブームは一方で、ヒップなコミュニティから生まれた「クラフトメーカー」の成功によって、巧妙なマーケティング戦略の効力とそれにまつわる醜い部分をも露呈した。その代表格だった〈マスト・ブラザーズ〉がスキャンダルに見舞われたのである。

 「内戦時代スタイル」と呼ばれる長いヒゲをたくわえたリックとマイケルというマスト兄弟が、少量生産のアルティザン・チョコレート・ブランドとして始めた〈マスト・ブラザーズ〉は、初期の頃は、ちょうど開花しつつあったブルックリンのフリーマーケットで注目を浴び、洗練されたパッケージと兄弟のイメージも手伝って、新世代メーカーとして商品が高級グルメショップに並ぶようになった。ウィリアムズバーグにオープンして成功した店舗を2011年に拡大して、チョコレート工場を増築した。2014年には、アメリカ東海岸からボートに乗って出発し、ドミニカ共和国までカカオを取りに行くという旅を記録したビデオ作品をリリースし、これを拡散した。ところが2015年に食系のブロガー、フランク・クレイグが、〈マスト・ブラザーズ〉が少なくとも初期の頃、イタリアのチョコレートメーカーの商品を溶かして味を加工したものを自社の商品として売っていたという暴露記事を書いて大騒ぎになった。そのルックと高度に洗練されたマーケティング戦略に若干の違和感を感じていた私は、彼らを取材しなかったことに胸をなでおろしたものだ。

 それに対し〈マスト・ブラザーズ〉は、「(われわれは)初期の頃から『ビーン・トゥ・バー』の会社であり、今後もそうあり続ける」という記事を発表したものの、暴露記事に対する法的措置を取らなかったこともあって、信用を失った。彼らは今も営業を続けているが、こだわりを尽くしたオーセンティックなチョコレートメーカーというイメージはすっかり薄れた感がある。結局のところ、この一連の出来事は「アルティザン」「クラフト」といったタームがイメージ先行で具体的な定義や規制もなく、マーケティング戦略の一環として使われていたことを露呈する結果にもなった。

 〈マスト・ブラザーズ〉事件について世の中に出た記事を読んでいて私が気がついたのは、シングル・オリジンのカカオを、添加物を使わずにチョコレートという商品にまで仕上げることの難しさである。もしマスト兄弟が他者のチョコレートを使っていたとして、その理由は、こうした商品開発に苦労したことにあると推測された。

Text by 佐久間 裕美子