古いやり方を維持するということ

© Yumiko Sakuma

 東京にはスウェット生地の商品に特化した〈ループウィラー〉というブランドがある。〈ループウィラー〉のスウェット地は、吊り編み機という機械で織られている。垂直に立つ機械で筒状に編み出す生地は柔らかく、肌に優しくて、それなのに繰り返し洗濯してもしっかりしている。機械といっても旧式なうえに、職人が糸の調整をしながら編まなければいけない。だからコンピュータ制御の機械より生産速度は格段に落ちる。1960年代中盤までスウェット地を織るための主要な織機だったが、大量生産の時代がやってきて、多くの工場がシンカーという新しい機械にシフトした。「安い」「早い」が「良い」に替わられた。この機械がなくなってしまうのではないかと危惧した鈴木さんは、1999年にスウェットに特化したブランドを作ることを決めたという。今、和歌山の工場で作られるスウェットを私たちが着ることができるのは、「安い」「早い」波に流されずに先見の明を持っていた人たちがいたからである。

 1905年にノースキャロライナ州で稼働を始めて以来、リーバイスのデニムを100年以上織り続けたコーンミル社のホワイトオーク工場を訪れたことがある。2009年頃のことだ。その時点で、コーンミル社のデニムの大半は、コンピュータで制御された最新の織機を使って織られていたが、日本のデニム・マニアたちからの要望に応えて、一度は倉庫にしまわれたヴィンテージのシャトル織機を使って、織り幅の狭い、いわゆる「サルベージ」デニムを織り始めたところだった。工場を案内してくれたラルフ・タープさんは、古い木製の織機が織りなすデニムの味わいを「ワビサビ」と表現した。ワビサビは英語では「imperfectly perfect」(不完全さにある完璧)と表現される。制御されていないから仕上がりが不均一になる。 完璧に均一に織られたデニムが当たり前だからこそ、古い織機で織ったデニムの「完璧でないこと」が独特の味を出すのだった。

 残念なことに、コーンミル社は2016年にプラチナム・エクイティという会社に買収され、2017年にホワイトオーク工場はその歴史の幕を閉じた。

 こういう話は珍しくない。アメリカで製造業を復活させよう、という動きがある一方で、これまで歴史の波をかいくぐって生き残ってきた工場が姿を消すこともある。そういうとき、棺桶に釘を打つのは、お金部門を担当する人たちである。

 利益を生み出さないから、成長しないから、維持が大変だから、という理由で、何かが世の中から姿を消すという事態が起きるのは、もちろん衣類の世界だけではない。たとえばかつてCDが登場したとき、アナログのレコードが売れなくなった。日本でもアメリカでも、レコード屋やプレス工場が驚くほど短い期間で姿を消した。フィルム・カメラの世界でも同じことが起きた。多くのモデルのカメラやフィルム、現像所が世の中から姿を消した。けれど今、写真や音楽の世界でデジタルでないやり方を新鮮に感じる若い世代が増えていて、新しい産業を生み出していることは周知の事実だ。

 新しいやり方がいつもより良い結果を生み出すわけでもないし、古いやり方が絶対的にベターなわけでもない。ただ、これまでいろんな古い手法が消えていったように、今、辛うじて維持されている古いやり方がずっと続く保証はない。きっと時間の問題だ。だからこそ、続く限りは現存するものを愛でたいと思うのだ。

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Text by 佐久間 裕美子