ヴィンテージのこと、改めて

© Yumiko Sakuma

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 私の人生に味付けをしてくれるもののひとつにヴィンテージがある。最初のきっかけは、まわりにヴィンテージ好きがいて、張り合いたいの半分、おもしろいの半分で自分も探し始めるようになった。上野や高円寺のヴィンテージショップを徘徊し、ビルケンシュトックのデッドストックを発見して興奮したり、ナイキのワッフルレーサーを探し回ったりもした。そこにはお店に行ってお金を払えば買える、という以上の楽しみが存在した。服装が人と同じように見えるリスクが低くなる、ということや、ぱっと見てその価格がわからない、というところも好きになった理由かもしれない。

 大人になってファッションの仕事をするようになって、ヴィンテージの服がさらに好きになった。歴史が好きだから、その時代ならではのディテールに心が踊る。特に作業着のように見られるためファッションのために作られた衣類が持つ無骨さや機能性がかっこよく思えた。

 ヴィンテージの衣類は歴史の証人でもある。女性が着てきたものの変遷を辿ると、男性の所有物とみなされていた時代にはドレスにポケットがなかったり、その後それを不服とする女性たちがポケットを要求したり、といったエピソードに出会う。時代によって、フィットが緩くなったり、タイトになったり、スカートの丈が長くなったり短くなったりするという変化に、そのときどきの女性像が反映されているのもおもしろい。

  何より今新しく作られる素材とは一味違った触感も好きなのだ。もちろん最新の技術を使った、水や風を通さない素材の衣類や靴のように 、新しいもののほうが優れている、使いやすいというケースもある。けれども世の中が「安く、大量に」という方向に動いてきたあいだに失われてしまったものの作り方がある。化学繊維が登場する前に作られたリネンやコットンの触感を今再現しようとしたらずいぶんお金がかかってしまうだろうし、そもそも再現することが不可能な場合がほとんどだ。だから手元にあるヴィンテージの衣類がとても愛おしいし、古ければ古いほど気分があがる。

 米兵が日本駐留の土産として持って帰ったというスーベニアジャケットも、防寒に最適な米海軍の屋外用のオーバーオールも、自分が生まれるよりずっと前に、誰かが作ったものなのだ。そしてそれがたくさんの人の手を通って、今は自分の手元にある。願わくば私が死んだあとも、誰かに大切にされてほしいと思う 。

 こういう偏愛のようなものは自分のなかで、ちょっぴり恥ずかしいフェティシズムのように存在してきた。最新のシーズンのものを華麗に着こなす人たちに囲まれて自分だけが古い洋服を着ていることに多少の居心地の悪さを感じたこともある。

 かつてのコレクターたちは、古いものは古いまま、できるだけ傷の少ないものを選んで貴重なものとして保存したり、最近のヴィンテージ玄人の中には、時間の流れが色濃く出ているものをあえて好む人たちも多い。2010年代に入って、ヴィンテージ・コレクターたちの口から「ボロ」(襤褸)というジャンルのことを聞くようになった。19世紀から20世紀中盤のあいだに日本の東北地方の農家で使われた、藍染の野良着、肌着、寝具、雑巾のことで、当時の貧しい暮らしぶりを反映して、布切れを継ぎ接ぎして何度も修復した跡があることに特徴がある。日本では民俗学者の田中忠三郎さんが東北の民家を訪ね歩いて膨大なコレクションを築き、「ボロ」の存在を世の中に知らせたが、いつしか欧米のコレクターたちにも発見されて、アメリカのヴィンテージのマーケットでも藍色のちゃんちゃんこや野良着などが売られているのを目にするようになった。そしてこういう場合はボロければボロいほど、いい値段がつく。これだけ新しい物があふれる今、 100年ほども昔に東北の貧しい農民が、必要に迫られて直しながら使っていた衣類に、欧米人が美を見いだしている。

Text by 佐久間 裕美子