古いやり方を維持するということ

© Yumiko Sakuma

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 一度世の中に商品として出たものをリメイクする動きがある一方で、昔ながらの方法を守って商品を作っている人たちもいる。

 アメリカの老舗アウトドアメーカー、L・L・ビーンは今、商品の大半を海外で製造している。創業の地メイン州で作っているのはふたつだけ。ひとつは、創業者のL・L(レオン・レオンウッド)・ビーン氏がいちばん最初に考案した狩猟用のビーン・ブーツ、そしてもうひとつは最大500ボンド(約226キロ)の重みに耐えられることが自慢のキャンバス地のトートバッグだ。2014年に『アエラスタイルマガジン』という雑誌の取材でメイン州の工場を訪れ、このふたつの商品が作られるところを見る機会を得た。両方とも、ミシンやパンチャーといったシンプルな機械を使い、人の手によって作られていた。

 その訪問でいくつか気づきがあった。アメリカの製造業は、アジア、中東、中南米の安い労働力に負けて、オペレーションが海外に流出したから衰退したという話になっている。ところが工場の人たちと話をしているうちに、状況がそれほど単純でないことに気がついた。L・L・ビーンが今、アメリカで作っているのは、昔からここで作られてきたものだけだ。それ以外の商品については、アメリカで「作らない」のではなく「作れない」というほうが正しいのだと。創業者の子孫で現在は会長を務めるショウン・ゴーマンが教えてくれた。

「可能であれば、アメリカですべてを生産し、雇用をメイン州に維持することが理想的です。でも実際にはそれはとても難しいこと。今となっては海外でしか作ることのできない、または海外で作ったほうが良いクオリティになるものがあるのです」

 アメリカでも、日本でも、国内の製造業はもう長いこと縮小してきた。機械の発達や製造業に従事する人員のスキルの向上によって、いつの間にか海外で作れるもののレベルが上がっていた。そういうことなのだ。

 2014年に『ヒップな生活革命』に書いたような「近くの工場で丁寧に作る」ムーブメントのおかげで、ライフスタイルやアパレルの世界には、葛藤しながら今も稼働し続ける工場が、数少ないとはいえ存在する。この手の工場が、グローバリゼーションの波に飲み込まれずに生き残ってこられた理由は、新興国の工場には存在しない古い製法、クオリティの高さを維持していることなどにある。「昔ながらの作り方」や「近くの工場で作られたもの」への関心が近年になって高まってきたとはいえ、古いやり方を続けるのは簡単ではない。今残っている工場は、製造業の現場に関わりたがる若者が少ないこと、また機械の使い方を熟知した熟練の職人の高齢化といった恒常的な問題にさらされている。

 問題は人材だけではない。特に、繊維の工場では機械の老朽化が深刻だ。アメリカや日本の織り工場で、すでに多くの現場から姿を消したはずの古い機械を見ることがある。福岡県の久留米市にある、半纏(はんてん)を布を織るところから作る桑野新研産業というメーカーの工場で、もう何十年も使われている日本製の織機を見せてもらった。機械の製造元が廃業していることもあるし、部品などがもう作られていなかったりもするから、維持も簡単ではない。なにかがおかしくなると、自分たちで改造したり、金物屋に部品を作ってもらったりして、やりくりしている。こうした工場が古い機械を使うことにこだわる理由は、たいていの場合、最新のコンピュータ制御された機械が出せない風味を出すことができる、というところにある。それでもいつか、いま使っている織機が使えなくなる日が来るかもしれない。そのときは商品の風合いも必然的に変わることになる。

Text by 佐久間 裕美子