自らを「武士の国」とした大日本帝国……そしてその思想は今なお残る

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著:Oleg Beneschヨーク大学、Senior Lecturer in East Asian History)

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は2017年11月、自身初のアジア歴訪を控えた夜、中国に対し、「日本は「武士の国」であるため、真剣にとらえる必要がある」と警告した。トランプ氏の発言は、日本が「古来より伝わるサムライ魂をもった勇ましい国である」という一般的な見方を示した一例に過ぎない。しかし本当にそうなのか?

 サムライは日本文化の中でも、もっとも代表的な要素であり、映画やテレビ、文学や美術でもよく取り上げられる。このイメージを複雑にしているのが、第二次世界大戦での出来事だ。当時の大日本帝国の行動を解釈する際に、あらゆる面で武士の伝統とされるものが利用されたからだ。この認識の不一致が、今も日本の国際関係に影響を及ぼしており、歴史的見解の相違や矛盾が中国と和解するうえでの大きな障害となっている。

                                                                                                                 

 武士の国として日本を描くとき、通常はサムライの伝統、とりわけ武士道(つまり「武士の在り方」)という概念が注目される。武士道は、古来は武士、そして後に近代戦争の兵士を指南した道徳として広く知られている。この見解では、日本史上重要な側面が見過ごされてしまっている。

 日本を支配したサムライは表向き「武士階級」だったものの、1860年代までの200年間、国内外の大きな紛争を経験していなかった。さらに、近代以前の日本には、広く受け入れられた武士の道徳規範は存在しておらず、「武士道」という言葉も20世紀になるまでほとんど知られていなかった。

◆国家の台頭
 19世紀には、新たな国家が数多く出現し、ドイツ、イタリア、日本という第二次世界大戦の枢軸国3国もすべて出そろった。天皇が国の統治権を取り戻した1868年の明治維新以後、新政府は日本国民が新たな国家に共感するよう説得する必要があった。ドイツやイタリアと同様に、当時は日本でも多くの人々が国家のアイデンティティを模索していた。そこで、日本の思想家の多くは、当時世界最強の帝国を支配していたイギリスに目を向けた。

 彼らが注視していたころ、イギリスは「中世」の概念の復活を経験していた。理想的な騎士道精神が一般的な文化テーマとなり、官民問わず多くの建物が中世の城の姿を模していた。その傾向に触発された1890年頃の日本人思想家は、日本の伝統の中にそれと同等のものがないか、と模索した。彼らはサムライをヨーロッパの騎士と対比させ、日本の騎士道そして紳士としての道といえば、武士道だと提案した。

 1894年から1895年に起きた日清戦争で中国に勝利したことにより、日本で武士道が大きく隆盛したが、そこには変化も見られた。日清戦争以前、武士道は西洋の理想に匹敵する潜在性を持つものとして引き合いに出されていた。しかし戦争の後、日本国内には国家主義と軍国主義ムードが広がり、武士道はそういった感情を反映するようになった。

Text by The Conversation

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