カトリーヌ・ドヌーブらの「うざがらせる自由」はなぜ批判されたのか?

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 ハリウッドでハーヴェイ・ワインスタイン氏によるセクシャルハラスメント被害を告発する声が相次ぎ、「#MeeToo」をはじめとした運動がさまざまな業界へ広がりをみせている。そんななか、100人のフランス人女性による寄稿記事がル・モンド紙に掲載された。そのなかにフランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーブが含まれていたことが強い印象を与え、日本ではまるで記事を彼女の言説のように捉える向きもあった。実際には作家のカトリーヌ・ミラ、ジャーナリストのペギー・サストルなど強い個性を持った面々によって作成された文章であり、ドヌーブは名前を連ねた1人に過ぎないが、彼女の持つ知名度のおかげで記事は国内外で大きな話題を呼んだといえる。そして批判を含む多くの反応を呼び寄せた。

◆「自由」とは、男性側の自由だけではない
 記事には「私たちは、性の自由に必要不可欠な、うざがらせる自由を守る」というタイトルがつけられている。これはル・モンド紙がつけたタイトルで、「うざがらせる(Importuner)」という単語には「女性をしつこく口説く」「相手の都合に関係なく何かを働きかける」といった意味があり、「相手の気持ちを考える」「空気を読む」といった振る舞いとは対極にある。

 このタイトルは国内外のメディアにもたびたび引用された。BBCは「カトリーヌ・ドヌーブ、男性の女性を“しつこく口説く権利”を守る」というタイトルで記事を公開した。だがドヌーブたちによる記事の本質は「権利」ではなく「自由」という言葉が選ばれていることである。「うざがらせる自由」というのは男性が女性にしつこく言い寄ることだけを意味するのではなく、女性の側にも言い寄る男性を拒絶する、性暴力被害をものともしないといった態度をとる自由があるという意味で使われている。

 ハフポストフランス版には「いいえご婦人方、性の自由は男性にお尻を触られることを甘受することではありません」という記事が寄せられ、#MeeToo運動に参加した1人イタリアの女優アーシア・アルジェントらにシェアされた。多くのフェミニストたち、MeeToo運動に参加した女性たちからはこの「自由」は共感を得られなかったようだ。

◆世代のずれが議論のずれを呼んでいる?
 前出のBBCは、「議論は、#MeeTooを60年代に得た性の自由への脅しとみるような年配の世代と、女性の権利のためにセクシャルハラスメントとの最新の戦いのステージにいると感じる若い活動家世代との間に溝があるのだ」と今回のドヌーブたちによる記事に対する批判に、世代間のずれがあると指摘している。

 フランスではシャーリー・エブドの襲撃事件の際にみられたように「自由」を守るために立ちあがる力が大きい。今回ドヌーブが守ろうとした自由があまり賛同を得られなかったのは、これがまったく新しい運動であることを彼女たちが読み切ることができなかったからかもしれない。寄稿記事では、女性たちは成熟し、強くあるべき存在なのだから性的な嫌がらせも各々対処できるはずといった、強者の論理が並べられていた。フランスの政治家セゴレーヌ・ロワイヤルはtwitter上で「偉大なカトリーヌ・ドヌーブがこんな凡庸な原稿に加わったのは残念。私たちの思いは、男女ともに女性の尊厳を気に掛けること、恐怖で打ち明けることができず苦しむ性暴力の犠牲者たちとともにあります」と発言している。これからの新しい女性の権利を求める運動は、これまで救われることのなかった人へ光を当てるものとなるだろうか。

Text by 城川まちね