“日本車の認識を変えた” Zカーの父、ミスターK死去 海外からも惜しむ声

 日本の代表的スポーツカー日産「フェアレディZ」の市場投入に携わり、「Zカーの父」と呼ばれた日産自動車の米国法人元社長の片山豊氏が、19日死去した。アメリカを始め各国のZカーファンの間で「Mr.K」として慕われた同氏の訃報は海外でも広く報道された。

◆日本車市場の立役者
 LAタイムズは片山氏について、自動車マーケティングのリーダー的存在であり、アメリカにおける日本車普及の立役者だった、と報じている。

 片山氏は「品質が成功の鍵」とし、本社が売りたい車ではなく、アメリカ人が欲しい車を生産する必要性を見抜いていた、と同紙は指摘する。ダットサンというブランド名で販売されていた日産車は、パワーがなく洗練されていなかった。大きなエンジンや、全体のバランスと仕上がり、ブレーキの改善など、アメリカ市場のレベルに追い付くために必要なことは何でも、片山氏は本社に要求した。同氏の時代、アメリカのディーラーに運び込まれたダットサンの品質、スタイリング、パフォーマンスは劇的に改善した。

 片山氏は消費者に見せる方法も心得ていた。同氏はレース部門を立ち上げ、ダットサンがBMWやポルシェなどの大御所と競争する姿を大衆が見られるようにした。この結果、ダットサンの耐久性が証明され、同車に対するイメージも向上した、と同紙は指摘している。

◆Zカー秘話
 WSJは、日本製品が粗悪品の代名詞だった時代に、手ごろな価格のスポーツカーであるZカーを世界に認めさせた、と片山氏の功績を評価している。

 日本でフェアレディと名付けられた日産初のスポーツカーをアメリカで売り出すに際し、片山氏のチームは同車の名前を240Zに変えた。フォード・サンダーバードやシボレー・インパラなどスピードや力をイメージさせるニックネームと比較して、ブルーバードやフェアレディなど奇妙でひ弱な名前はアメリカの消費者の気をそそらない、とLAタイムズは指摘している。

◆アメリカンドリーム
 片山氏の功績に関し、息子の光夫氏は、「彼のおかげで大勢のダットサン・ディーラーが自分のサクセスストーリーをかなえることができた」とWSJに語った。

 アメリカの自動車サイト『Auto News』は、片山氏から刺激を受けて、フォードからダットサンのディーラーに転職した男性の経験を紹介している。片山氏は1969年、部屋いっぱいに集まったダットサンディーラー候補の面々に向かって「この部屋にいる誰もがいつかは金持ちになれる」と語ったという。同サイトには、実際にダットサンのおかげで成功した元教師の例などが寄せられている。

 片山氏は、運転免許証が103歳の誕生日まで有効だとして、100歳を超えてからもZカーを運転していた。片山氏はメールや会話を、「Love Cars! Love People! Love Life!」とお決まりの文句で閉じることで知られていた、とLAタイムズは結んでいる。

Text by NewSphere 編集部