なぜ日本車が世界で選ばれているのか? 海外メディアの見る強みとは
♦︎暗黒時代を越えて
世界のユーザーから信頼される日本車だが、現在のような評判を勝ち取る以前には、暗黒時代ともいうべき不遇の期間があった。そのどん底は第二次大戦が明けて間もない1949年ごろのことだ。グローブ&メール紙は、トヨタが経営危機にあり、その他メーカーも欧米車を模倣するのみだったと述べている。しかし、国内自動車各社の創造力は尽きたわけではなく、単なる模倣には終わらなかった。記事は「しかし日本はこのような国々から最も優れたアイデアを体系的に拝借し、同時にそれらの弱点を解決していった」と総括している。イギリス製の不安定な電気系統を国産に置き換え、ドイツ製の優秀な設計を普及型の車種にも搭載できるようにし、アメリカ流に複数のグレードを用意しつつも選択肢を抑えて歩留まりを向上するなど、製造・マーケティングともにあらゆる工夫が凝らされた。
戦後の厳しい状況から生まれた発明のひとつが、かの有名なトヨタ生産方式だ。第二次大戦後の日本経済はぜい弱であり、生産現場に工夫を凝らすことが求められた。カー・キーズ誌は、一つのプレス機を利用して異なる車体部品を製造するなど、現場で行われた工夫を紹介している。当時は生産ラインに余裕がなく、製造上のミスが許されない状況であった。
そこで、問題が発生すれば組立ライン全体を一時停止し、その場で解決するアプローチが採られた。このことは結果として、品質の向上につながることとなる。完成後に一括して検査する欧米流の方式では、どうしても検査時の見落としが発生するためだ。さらには、工場の運営も見直されている。無駄なコストを抑えるため、常にラインを稼働させるのではなく、市場が求める台数のみを製造する方針とした。加えて主要な部品サプライヤーの近くに工場を建設し、輸送コストの削減と調達タイミングの最適化が図られている。
こうして品質向上とコスト削減を徹底した結果、日本の自動車産業は海外諸国への急速な浸透に成功している。米ホット・カーズ誌は、日本メーカーの本格的な参入からわずか20年ほどだが、道を走るクルマは大方が日本車になっていると述べている。