巨大な通貨圏は機能しない?―一都市一通貨のすすめ

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著:Mark Griffith(経済、哲学、政治を扱うジャーナリストで元金融トレーダー)

 この世界にはいくつの通貨が必要なのだろうか。いや、より厳密な問いを立てよう。ユーロ通貨の導入は、ヨーロッパは一つの通貨しか必要としていないという主張への大きな賭けであった。この実験がうまくいっていないことはあなたも気づいているだろう。それは一体なぜなのか。ここ数十年間で広く訴えられてきた言説が2つある。一つ目はより長い時間が与えられれば、通貨統合はより大きな政治的統合をもたらし(例えばユーロ圏の統一予算など)、目論見通りに機能するというものだ。もう片方の言説は、曖昧な「文化的」な理由を根拠としているが、統一通貨圏はまとまりを欠きうまく機能しないと主張する。英国財務省は長らく「経営状態の全く異なった経済を一つにまとめること」は賢くないという見解を示している。これは二つ目の主張を慎重に言葉を濁したものだといえよう。

 しかしながら両者の意見にはやや怪しい点が見受けられる。まず、一つ目の言説は何故ユーロ圏が諸国の経済を統合するのにこれだけの時間がかかったのかについての共通見解を欠いている。ドイツの政治家が口をそろえて主張するように、ギリシャやその他南部諸国は汚職が盛んで国債に頼りっきりかもしれないが、そもそもこういった問題をユーロ圏で解決しようとしたのではなかっただろうか。二つ目については、ヨーロッパで通貨統合が起こったこと自体が、これらの各国家の通貨がユーロ以前にどれほどうまくいっていたのかを物語っていないだろうか。さらには、大きな通貨圏は栄えるようにさえ見える。アメリカ合衆国には一つの通貨しかないが、とても裕福な国だ。ロシアや中国やインドも単一通貨でうまくいっている。どうして異なる通貨の寄せ集めのほうがうまく機能するといえようか。

 私がここで主張したいのは、実は異なる通貨を共存させることには多くの利点があるということだ。ジョン・ケネス・ガルブレイス氏,ジェーン・ジェイコブス氏, ベルナルド・リエター氏やニーアル・ファーガソン氏など多様な貨幣史研究家も、歴史上のほとんどの間、通貨は多様でありそれぞれの通貨は国家でなくそれが使われる都市に結びついていたと主張している。この傾向は今や忘れられつつある。わずか18世紀のイギリスとフランスの金融中央化で導入された一国一通貨制度は、ほとんどの人にとってはずっと存在している制度のように感じられる。

 こうして私たちは現在の論争が過去に起こった論争と不思議なことにも類似していることを気づかないのである。地中海諸国と親ドイツ諸国とのユーロ通貨についての議論は19世紀のアメリカ合衆国での激しい対立を連想させる。その対立は東部州の「ハードマネー」を支持する人々と中西部州の「ソフトマネー」派とのものであった。奇妙に感じるかもしれないが、後に子供用映画にもなったライマン・フランク・ボーム氏による『オズの魔法使い』はこの論争に関する金融的、政治的な風刺である。この1880年代、1890年代のハードマネー・ソフトマネー論争(「私たちを金の十字架で縛ることはできない」という言葉の中の金はハードマネーを意味している)は今日のユーロに関する論争に準ずるほど熱狂的であった。

 東部州は中央銀行がすべてのアメリカ国内の銀行を統制することを望み、それを叶えた。中西部州は銀行が自由に預金証書を発行できることを要求したが、それは実現しなかった。紙幣は全てドル通貨であったが、卸し問屋はそれぞれの紙幣の価値を、それを発行している銀行の信用の評判によって変動させていたのである。そしてガルブレイス氏が指摘するように、自由銀行制は1800年から1850年までの50年間にわたる未だ打倒されないほどの経済成長の時期に取られていた制度である。南北戦争(1861年〜1865年)のあと、金融の中央化によって、常に1,2行が常に破たんしている自由銀行制から移行した。むしろ、アメリカの銀行は揃って過剰な貸し出しを行い(好況)、共倒れを起こし(経済破綻)、揃って過少に貸し出すのであった(不況)。1873年恐慌はこの新しいパターンの最初の例である。

 言い換えると、半世紀に渡った史上最も早い経済成長は統合された通貨の下では起こらなかった。それは、それぞれの通貨に「ドル」という言葉が刷られていたものの、複数の通貨が存在した時代に起こったことだった。このような結果は私たちがユーロ危機に下した2つの診断から見るととても奇妙なものだろう。もう一つ見解の見解を紹介しよう。

 1970年代にアメリカとカナダの経済学者ジェイン・ジェイコブス氏は極端に単純な洞察を生み出した。彼女が生涯興味を持っていた都市史研究が、国ではなく都市が経済を動かしていることを確信づけたのだった。都市は赤の他人がともに事業を起こす混沌としていて秩序立てられていない場所なのだ。ジェイコブス氏によると、だからこそすべての革新は都市で起こるのだ。よって、すべての都市の通貨がその都市の経営状態と連動すべきであることは筋が通る。2つ以上の都市に同じ通貨を使うことを強いることは一つの都市の経済を向上させる代わりにその他の都市を荒廃させるのだ。これは、イタリア南部やイングランド北部が何十年分もの助成金をもってしてもミラノやロンドンから大きく経済的な後れをとっていることからも見て取れる。

 ユーロ圏とユーロ以前の失敗は経済の原動力である都市に注目することによって説明がつく。ユーロ以前のヨーロッパの国々の国内通貨圏はすでに大きすぎ、ユーロ圏は既に大きすぎた通貨圏をさらに広げただけであった。アメリカ合衆国は一つの通貨を共有しながらも豊かであるが、実は一つの通貨圏に制約されていることによる負のサイクルに苦しんでいる。アメリカ経済は長い間、高い労働流動性(フランスの3倍)に支えられてきたが、それも小さくなってきている兆候が見られ、ドル圏による不利益はより表面化してきている。

 ジェイコブス氏の見解によると、アメリカ合衆国やカナダ、オーストラリア、ブラジルなどの国々が豊かなのはそれらが持つ大きな通貨圏が理由ではない。むしろ、大きい通貨圏を持たないほうがより豊かになるのだ。今や社会不安は上昇傾向にある。ユーロ圏を苦しめている問題によってアメリカ人も直面する未来も容易に想像できる。

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Translated by Conyac

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