「世界の小澤」が私たちに遺してくれたこと

Andrew Harnik / AP Photo

◆小澤氏が私たちに遺してくれたこと
 音楽界で小澤氏が成し遂げた偉業は、これからも残っていくだろう。欧州では前述の現スイス・小澤征爾国際アカデミーやウィーン国立歌劇場、ウィーンフィルやベルリンフィルをはじめとするオーケストラ、そして日本では小澤国際室内楽アカデミー奥志賀や小澤征爾音楽塾、セイジ・オザワ松本フェスティバル、アメリカでは前述のサンフランシスコ交響楽団やボストン交響楽団にタングルウッド音楽祭、そして世界に散らばる共演経験者や弟子たち。

 音楽家だけでなく、私たち日本人は、「世界に越えられない垣根はない」という世界観と、「日本人らしい心配り」を受け継いでいくことを提案したい。前述のナガノ氏が素晴らしい思い出話を語ってくれた。

 「2人とも超ベーシックなフランス語しか話せなかった頃、2人で休憩中に使うためのコーヒーメーカーを買いに行きました。小澤さんは自分の欲しいテイストを店員さんに説明して、気に入った機械をゲットして来たのです。『あんな片言で、どうやって理解してもらえたのですか?』と聞くと『言葉が通じるかどうかは問題ではない。気=エネルギーが重要なんだ。魂をクリアにすると通じ合える』と言われました」。まさしく、彼の音楽の作り方だ。

 もう一つのエピソードは「ある日リハーサルの後にミーティングが組まれ、時間がギリギリだったのに『ちょっと待って』と小澤さんは楽屋に戻ったのです。『遅れます』と私が急かすと、『掃除して出ないと、次の指揮者に悪い』と言って、楽屋をきれいにしてからミーティングに行ったのです」。そんな細やかな心遣いは、もしかしたらサッカーのサポーターが観戦席のゴミを拾い、チームがロッカールームをきれいにして出発することで名高い日本人の感性につながっているのかもしれない。

 世界に道標を作ってくれた小澤さんから、そんな精神を受け継いでいきたい。

Shizuo Kambayashi / AP Photo

在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生