エジル、「多様性の象徴」から敗退の生贄へ ドイツの理想と現実を映す

Michael Probst / AP Photo

 サッカーのドイツ代表、メスト・エジル選手が、代表チームからの引退を表明した。エジルはトルコにルーツを持つ。W杯を前に、トルコ大統領と写真撮影したことがドイツ国内で論争を呼び、それがもとで受けた人種差別が引退の理由だとしている。多くの移民を受け入れ多様性をうたうドイツだが、理想と現実の差を埋められない例として大きく報じられている。

◆現代ドイツの象徴 一転して批判の対象へ
 エジル選手は29歳。トルコ系移民の家庭出身だが、ドイツ生まれだ。2010年に初めてドイツ代表に選出され、2014年のW杯では全試合に出場し優勝に貢献した。現在プレミアリーグのアーセナルに所属している。ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)は、成功者エジルは多様性ある現代ドイツの象徴であった、と表現している。

 今年の5月に、エジルはロンドンを訪れていたトルコのエルドアン大統領と会っている。同大統領は独裁的リーダーとして知られており、再選を目指す6月の選挙に向けての選挙活動中だった。このときエジルが大統領と撮った写真を見た政治家やファンから、彼のドイツへの忠誠心を問う声が続出した。一部には、一緒に写真を撮ったことに政治的意図があったという批判の声も出ていた。

 6月のW杯で、ドイツチームはグループリーグ敗退という最悪の成績を残した。これによりファンやコメンテーター、サッカー関係者からのエジル批判はエスカレートした。ドイツサッカー連盟のラインハルト・グリンデル会長までが公に写真撮影の意図を説明するようエジルに要求し、彼を守ることはなかった。

◆多様性歓迎 でも2つの祖国は受け入れられない
 デュースブルグ・エッセン大学のトルコ研究院の調査によれば、ドイツに住む300万人のトルコ系住民のほとんどは、トルコに強い結びつきを感じており、ドイツとトルコの両方を祖国と考える人は89%に上っている(ドイチェ・ヴェレ)。エジルもその1人であることは、彼が引退を発表した声明からも明らかだ。

 エジルは自分には「ドイツとトルコという2つのハートがある」とし、子供のころから自分のルーツを忘れるなと母親に教育されてきたと述べている。エルドアン大統領と撮った写真に政治的意図はなく、ただ自分の家族の国の大統領に敬意を表すためだったと説明している。

 ドイツはメルケル首相のもと、コスモポリタンで多様性のある国を目指し、移民を受け入れ二重国籍を認める制度を導入した。しかし、2015年から2016年に100万人の移民を受け入れた反動で、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭を許してしまった。8年前、「統合のマスコット」としてエジルが注目を浴びた頃と比べ、ドイツ自体の移民歓迎の開かれた国というイメージへの熱が冷めたようだとフィナンシャル・タイムズ紙は述べている。

◆理想と現実のギャップ 移民は二級市民?
 2016年に発表されたエッセイ集「Good Immigrant」には、良い移民とは、受入れ国の現状の文化に適応することに前向きで、社会的、経済的価値を受入れ国にもたらしてくれる人々だとある。ところが、たとえ移民がこれらの要素を満たしていても、何かがうまく行かなくなれば、彼らの評価は一転して悪いものになってしまう(英誌ニュー・ステーツマン)。ドイツメディアはエジルをW杯敗退のスケープゴートにしており、まさにその例だろう。

 エジル自身は、「勝てば自分はドイツ人で、負ければ移民だ」とし、2つの祖国を持つ苦しみを語っている。ドイツサッカー連盟の元会長、テオ・ツバンツィガー氏は、エジルの引退はサッカーを越え、統合の努力にとって大きな後退だと述べる。また今回の事件が、移民のバックグラウンドを持つ人々は「二級市民」というメッセージを人々に送ってしまう危険性を憂慮している(NYT)。

Text by 山川 真智子