「神風」がなくても勝てた? 元寇でモンゴル軍を本当に苦しめたものとは?

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◆日本は難攻不落の島国!? モンゴル軍撃退は決して偶然ではなかった理由とは!?
「神風」で退却を余儀なくされるまで、モンゴル軍の日本上陸を阻んだ要素は以下の3つである。

・以前から日本では大国中国からの侵略に備えて、常に海岸での防衛策には関心があった。特に2度目の戦い(弘安の役)では、海岸沿いに設置された防壁(石塁)がモンゴル軍にとって上陸の大きな障害になった。

・当時の航海技術では、侵略がどうしても嵐の時期と重なってしまい、日本という島国自体が難攻不落の要塞であった。

・モンゴル軍のほとんどが朝鮮人や中国人の寄せ集めた部隊だったので、戦いのプロである武士の方が力だけで見ると圧倒的に上だった。

 元寇の勝因(敗因)が「神風」なのか上の3つなのかは、それぞれの立場によって異なる。日本軍の強さを目の当たりにしたモンゴル側は、敗因を完全に「神風」とまで言い切れないのである。

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 モンゴル帝国が短期間で空前絶後の大帝国を築き上げられたのは、ほとんどの国が戦う前に降伏をしていたからである。モンゴル帝国は侵略する国に使者を送り、降伏か虐殺かの2択を迫っていたと言われている。しかし、日本は決して降伏することなく、あくまでもモンゴル帝国に対抗する姿勢を見せたのである。元寇を退けたのは「神風」ではなく、どんな屈強な敵にも立ち向かった武士道によるものではなかろうか。

Text by てんじん