マリー・アントワネットが残した名言 生い立ちや最期からその人生を垣間見る
マリー・アントワネットの名を聞いて、かの有名な名言と、贅沢の限りを尽くした王妃のイメージを思い浮かべる人は多いだろう。はたしてマリー・アントワネットとはどういう人物であり、どういった人生を生きたのか。今回はフランス王妃マリー・アントワネットの名言から、彼女の人生を見ていく。
目次
マリー・アントワネットのプロフィール
名前(フランス語) | Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne(マリー・アントワネット・ジョゼフ・ジャンヌ) |
名前(ドイツ語) | Maria Antonia Josepha Johanna(マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ) |
生年月日 | 1755年11月2日 |
没年月日 | 1793年10月16日(37歳没) |
出生地 | オーストリア・ウィーン(ホーフブルク宮殿) |
在位 | 1774年5月10日 – 1792年9月21日 |
配偶者 | ルイ16世(フランス国王) |
父 | フランツ1世(神聖ローマ皇帝) |
母 | マリア・テレジア |
マリー・アントワネットの生い立ちと最期
マリー・アントワネットはオーストリアで王女として生まれ、14歳という若さでフランスへ王太子妃として嫁ぎ、処刑されて亡くなった。想像しがたい凄絶な人生を送ったマリー・アントワネットの生い立ちから、亡くなる最期までを紹介する。名言に触れる前の事前情報としてほしい。
マリー・アントワネットの生い立ち
マリー・アントワネットは1755年、父の神聖ローマ皇帝フランツ1世、母のマリア・テレジアとの間にオーストリアで誕生した。幼少期はウィーンのホーフブルク宮殿で過ごしたが、14歳のときフランス王太子ルイと結婚することになる。プロイセンとの間に起きた七年戦争による外交革命の一つであり、オーストリアとフランスの同盟関係を強く結びつけるための政略結婚であった。
初めは王太子妃としてフランス国民から歓迎を受けたマリー・アントワネットだったが、フランスでの慣れない生活の中で派手な遊びに熱中し、徐々にその評判が落ちていく。そんなある日、『首飾り事件』と呼ばれる高価な首飾りを横領する詐欺事件に巻き込まれてしまい、マリー・アントワネットの悪評が広まることとなった。
結婚生活の中で、ルイ16世とマリー・アントワネットは4人の子どもを授かっている。そのうち長男ルイ・ジョセフと、次女マリー・ソフィーを病気で亡くした。長女にマリー・テレーズと次男にルイ・シャルルがおり、マリー・アントワネットは子どもを授かってからは派手な遊びを控えるなど、家族の時間を大切にしていたとされている。
マリー・アントワネットの最期
1789年、フランスでは民衆の不満が高まる中、深刻な財政危機に見舞われた。失われつつある王家の力の回復を図るため、民衆の意見を受け入れ三部会を開いた。三部会とは聖職者・貴族・農民などの平民といった、3つの身分の代表で開かれる議会のことである。
しかし民衆の不満が治まることはなく、苦しい生活を強いられていた民衆の怒りはフランス革命へと発展する。マリー・アントワネットを含めた国王一家はヴェルサイユ宮殿を追放され、パリへ移動後に逃亡を図り、最終的にはタンプル塔に幽閉された。タンプル塔では、幽閉されながらも家族水入らずの時間を過ごせたとされている。
1792年にはフランスの王政が廃止され、裁判の末にルイ16世の死刑が執行された。その後、わが子と引き離されたマリー・アントワネットの裁判が行われ、死刑が確定。1793年10月16日、断頭台にて死刑が執行され、マリー・アントワネットは37歳で生涯の幕を閉じた。
処刑後、マリー・アントワネットとルイ16世の遺体はマドレーヌ寺院の共同墓地に葬られ、その後フランス国王が代々眠るサン=ドニ大聖堂に移されている。
「パンがなければ…」名言はマリー・アントワネットのものなのか?
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
原文:Qu’ils mangent de la brioche
マリー・アントワネットの名言と言われて、この言葉を一番に思い浮かべる人は多いだろう。実はこの言葉はマリー・アントワネットの言葉ではないのだ。ジャン・ジャック=ルソー著の自伝作品『告白』第6巻が、この発言の有力な原典のひとつとして挙げられている。
「家臣の『パンがありません』の発言に対して、大公夫人は『パンがないならブリオッシュ(お菓子)を食べればいいじゃない』と答えた」この一節が、マリー・アントワネットの発言だと誤解され広まったとされている。
マリー・アントワネットの名言は最後の言葉
「ごめんなさい、ムッシュー。わざとではないのよ」
原文:Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l’ai pas fait exprès.
処刑台に登る際、よろめいて処刑人の足を踏んでしまったときに発したマリー・アントワネットの最後の言葉である。これから自分を処刑する相手にも丁寧に頭を下げる言動から、マリー・アントワネットの礼儀正しい上品な姿がうかがえる。
この言葉は死の間際にあっても王妃の高貴な姿勢が人々の心を惹きつけるとして、マリー・アントワネットの名言として広く知られることとなった。
名言から見るマリー・アントワネットの人生
マリー・アントワネットには、その人生を想像させるような名言が数多く存在する。イメージだけにとらわれず、残された言葉からマリー・アントワネットの人柄やどのように生きてきたかを感じてほしい。
「さようなら、わが子たち。永遠に。私はあなたたちのお父様のところへ行くのです」
「勇気!私は何年もそれを示してきました。私の苦しみが終わるその瞬間に、この勇気まで失ってしまうと思いますか?」
「さようなら、愛する人。あなたを愛するのを止めることができるのは、唯一死だけ」
「何も必要ありません。すべて終わったのですから」
「不幸になって、初めて人は自分が何者なのかを知るのです」
「私はすべてを見て、すべてを聞いた。そして忘れてしまった、それらすべてを」
「みんなを失望させること、それこそ私の最大の不幸です」
「私は王妃だった。あなたは私の王冠と、妻としての地位を奪った。私の夫も、母としての私も殺した。私の子どもたちも奪われた。残るは私の血だけ。さぁ私の血を持って行きなさい。いつまでも苦しませるのはやめて」
「みんなが取り乱しているときには、冷静さを保つことが重要なのです」
映画で観るマリー・アントワネット
マリー・アントワネットに興味を持った人は、映像作品から彼女の人生に触れてみるのもよいだろう。セリフの中に名言があるかに注目しながら観てみると、また違った気付きを得られるはずだ。
マリー・アントワネット(DVD)
出展:Amazon
王太子妃として、妻として、母として。マリー・アントワネットの揺れ動く心に焦点をあてた作品。
監督 | ソフィア・コッポラ |
主演 | キルスティン・ダンスト |
発売日 | 2007年7月19日 |
時間 | 2時間3分 |
王妃マリー・アントワネット(DVD)
出展:Amazon
歴史上の有名なエピソードを忠実に再現し、実際のヴェルサイユ宮殿を使用したリアリティあふれる作品。
監督 | イヴ・シモノーフランシス・ルクレール |
主演 | カリーヌ・ヴァナッス |
発売日 | 2008年4月23日 |
時間 | 1時間26分 |
マリー・アントワネットの名言は何を見せたか
マリー・アントワネットの名言の数々は、あなたの見る目を変えただろうか。世間知らず・わがまま・浪費家などという印象を持つ人も少なくないマリー・アントワネットだが、誤解を受けて広まった無実の名言もあり、必ずしも彼女を贅沢なだけの王妃とはいえないだろう。
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