メルケル独首相、長期政権の背景とは? 脱原発・平和外交・緊縮財政に欧州紙注目

 ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)は9日、党首にメルケル首相を再選した。メルケル首相は、党首職14年目、首相職は9年目となる。党員の支持率は96.7%、国民の支持率も67%と高く、安定している(数値はスペインのエル•パイス紙より)。メルケル首相は、コール(16年)、アデナウアー(14年)に続く長期政権の道を歩んでいる。

 ドイツは日本と様々な面で比較される。衆院選で与党が勝利し、再び安倍政権が信任された今、メルケル首相の高支持率の背景を欧州報道から探る。

◆メルケル首相の人物像 ・背景
 独メディアの間では、メルケル首相の魅力は知性と巧妙さだとされる。汚職に一度も巻き込まれたことがなく、金銭欲もないという (スペインのabc紙)。働きもので、気取ることなく、簡素で、分別があり、できないことは約束しない。メルケル氏の人柄に、多くのドイツ国民は魅了されている。ギリシャの財政破綻からユーロ危機を迎えた2009年、メルケル氏の手綱さばきは、国民の信頼をより高めた(スペインのエル•パイス紙)。

 選挙戦では、「メルケルに票を投じます。メルケル氏が誰よりも国に安心感をもたらしてくれるので」と書かれたプラカードを掲げる市民がいた。有権者の一人は、“どんな状況にあっても、どんな問題でも、メルケル氏は上手く対処できる”素晴らしい政治家だ、と語っている。

 強さの背景には、政界での苦闘がある。1989年の「ベルリンの壁」崩壊時、メルケル氏は35才で、東ドイツで物理学博士だった。将来への不安から、東ドイツの新政党に入り、広報担当官になった。ドイツ再統一後、同党はキリスト教民主同盟(CDU)に加わり、メルケル氏は90年の連邦議会選挙で初当選を果たした。

 それからわずか14ヶ月後に、第4次コール政権で女性・青少年担当相に任命された。初めての閣僚としての成績はかなりお粗末な結果に終った。1994年の第5次コール政権では、環境・自然保護・原発保安担当相に就任。メルケル氏は、前任者に忠実で首相も手を焼いていた高官官僚を一掃した。

 1998年の総選挙では、経済不安と長期政権への国民の飽きから、CDUは大敗した。その後、メルケル氏は党首に選ばれた。政界経験が浅く頼りないとみられていたが、ここから着々と権力基盤を固め、2005年に首相に就任した。

◆メルケル首相の内政:緊縮財政、脱原発
 メルケル首相は緊縮財政政策をとっている。ドイツは2015年に赤字国債の発行を停止し、財政均衡を実現する見通しとなった。2016年以降の連邦予算について、赤字はGDPの0.35%を上限とするよう法制化した。EUが最終的に目標としている3%を大幅に下回る。人口が減少する中、将来世代に負債を背負わせるのは、国家として健全な姿勢ではないという考えなのである。ポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャ、フランスは、景気刺激策を望んでいるが、メルケル首相の姿勢は変わらない。

 一方、自分の主張を覆さざるを得なくなっても、それを巧妙にやってのける能力は卓越している。例えば、メルケル氏は原発推進論者であった。しかし2011年の福島第一原発事故以降、2022年までに全ての原発を閉鎖することを決めた。この決定をドイツ国民は支持した。この15年間で電気料金は70%上がっているが、メルケル首相の意志を覆すには至っていない。

◆平和主義外交
 また、平和主義外交をドイツ国民は評価している。メルケル首相は、リビア、マリ、シリアへの武力介入に反対した。しかし、アフガニスタンのように、必要とあらば武力介入も辞さない (以上、スペインのエル•コンフィデンシアル•デジタル紙)。

 プーチン露大統領も、世界で最も安心して相談できる相手はメルケル首相だと語っていたようだ。ウクライナ紛争から、両者の電話会談は40回にも及んでいる。一方メルケル首相は、プーチン大統領の言葉と行動のギャップに対し、我慢も限界にきているようだ、とBBCムンドは報じている。

 ベルリンの壁が壊された頃に缶ビールで祝杯を上げ、35歳で政治の道へ進んだメルケル首相。今やドイツ・EUの将来を左右する存在だ。なおメルケル首相は、来年3月、7年ぶりに来日予定だと報じられている。ドイツの専門家は、日本とは再生エネルギーの分野で協力できる道があるとしている。

Text by NewSphere 編集部