「白日青春-生きてこそ-」でアンソニー・ウォンが打ち解けた「天ぷら君」

2024年1月16日、新宿武蔵野館にて、映画「白日青春-生きてこそ-」の初日舞台挨拶が行われ、主演の香港俳優アンソニー・ウォンが登壇しました。

【画像】舞台挨拶に登場したアンソニー・ウォンさん

アンソニー・ウォンが出演する「白日青春-生きてこそ-」

アンソニーさんは、香港を活動拠点にしている俳優です。

Netflixで配信されている「レジェンド・オブ・フィスト/怒りの鉄拳」などに出演してきました。

本作は、息子と距離のある孤独なタクシー運転手が、香港に住む難民の少年と心を通わすヒューマンドラマ。

アンソニー・ウォンさんが本土から香港に密入境したタクシー運転手チャン・バクヤッを、パキスタン系香港の新人俳優サハル・ザマンさんが交通事故で父親を失った難民の少年ハッサンを演じています。

イベントの冒頭、「こんばんは!」と日本語で挨拶し、会場を沸かせたアンソニー・ウォン。

本作の出演依頼を受けた際について、「以前出演した『淪落の人』(2018)と同じ制作会社からのオファーで、とても信頼がありました。話をいただいた時は、コロナ禍ということもあり仕事が減っていて、映画に出演しないと演技力が落ちてしまうんじゃないかという不安もありました」と、当時を振り返ります。

また、監督のラウ・コックルイさんに対面した当時を回想し、「実際にお会いすると、礼儀正しい人だと分かり、一緒に仕事をしたいと思いましたね。脚本を読んだら、この物語は映画化する可能性が高いなと。ただ、新人監督で脚本は完璧ではなかったので、話し合いを重ねた上で映画を作っていきました」と話しました。

アンソニー・ウォンが語る「白日青春-生きてこそ-」 裏話

撮影中大変だったことは、「車の中で息子と泣く場面。実はこの場面の撮影は、非常に寒くて。加えて、私は短パンを履いていて、お腹が空いていた状態だった」と説明。

アンソニーさんは「現場の近くに、屋台がありラーメンを注文したのですが、ラーメンが出来上がった時にちょうどスタンバイがかかって。ラーメンのことが気になっていたし、寒かったし、お腹が空いていたしと複雑な気持ちの中、泣く演技をしました」と観客の笑いを誘いました。

本作ではサハル・ザマンさんをはじめ中国系以外の俳優との共演も多く、「現場は和やかな雰囲気でした」というアンソニー・ウォン。

「サハルの『サハ』は広東語で“天ぷら”という意味なので、現場では彼のことをずっと『天ぷらくん』と呼んでました。一緒にゲームをしたり、子供が歌っちゃいけない歌を教えたりして遊んでいました」とサハル・ザマンさんとの仲の良さを覗かせました。

観客からの質問に答えたアンソニー・ウォン

舞台挨拶終盤には、観客からの質問コーナーも実施。

「質問の前に1つ条件があります。質問する人は10人の友達を映画館へ連れてきてください」とのアンソニー・ウォンの注文には、笑いが起きつつも観客の手は上がりませんでした。

そんな様子に、「みんな恥ずかしがり屋ですね。では、負けますよ。5人でいいです」とおちゃめな人柄を見せる場面も。

本作中に登場する難民に関連して、香港社会における難民の存在について質問されると、「専門家ではないのであくまでも一個人の意見ですが」と断った上で、こう述べました。

「多くの香港人は移民に対して色眼鏡で見ているところがあると思います。

そして正直あまり良い印象は抱いていない。たとえば、この人たちは犯罪を起こすんじゃないかとか、悪いことをするんじゃないかとか。

でも実際、香港には難民だけではなく、南アジアからの移民も多く住んでいます。

私の友人にも南アジア系の移民がいますが、一部は非常にお金持ちで、一部は貧しいのですが、一生懸命働いて努力しているすごく良い人たちという意味では共通している。

世の中どこでも、金持ちもいれば貧乏人もいるが、それを判断基準にしてはいけない。我々が相手をみる上で大事なのは、いい人かどうかだと思います」

さらに、台湾の映画賞「第59回金馬奨」で最優秀主演男優賞を受賞した際に、サハル・ザマンさんを舞台上に連れて行った時の心情についても聞かれました。

「天ぷらくんは新人賞でノミネートされていたのですが、受賞を逃してしまって、泣いていたんです。

まだ小さい彼がこの盛大な授賞式に参加するのは人生で1度か2度かのチャンスだと思う。だから彼と一緒に登壇して、この雰囲気を味わってほしかった」と明かしました。

しかしその後に行われた香港電影金像奨では彼が新人賞を獲得し、自分は受賞しなかったことを告白。

アンソニー・ウォンさんは「天ぷらくんが受賞したときは、私をステージにあげてくれなかったんです」と愚痴を漏らし、観客を笑わせました。

「白日青春-生きてこそ-」は全国で公開中です。

Text by 吉田真琴