失踪から20年 熱帯雨林・プナン族のために戦ったブルーノ・マンサー

ハンガーストライキをするブルーノ・マンサー(1993年4月6日)|Walter Rutishauser, Fotograf / Wikimedia Commons

 自然の宝庫といわれ、珍しい動植物もたくさん生息するボルネオ島(別名カリマンタン島)は、日本から直行便があり、観光で訪れた人もいるかもしれない。だが自然が豊富とはいっても、島を覆っている熱帯雨林は開発のために激減している。木々を伐採して材木にし、アブラヤシ農園を作ってパーム油を生産し、世界へ輸出するための開発だ。島の顔でもあるオランウータンも、激減している。

◆2019年末に映画化、再び注目集めたマンサー
 この問題を早い時期に目の当たりにし、熱帯雨林の破壊をやめるよう世界へ訴えたのが、スイス人のブルーノ・マンサーだ。80年代半ば、ボルネオ島のジャングルで先住民のプナン族と暮らしていたマンサーは、開発から自分たちの地区を守るようプナン族を鼓舞した。伐採を推奨する政府とプナン族の対立は続き、マンサーはスイスに戻って一般人から政治家まで幅広く訴え、外側からプナン族を援護した。

 過激なパフォーマンスも含め、マンサーの10年間の必死の活動にもかかわらず、開発は進んだ。2000年、プナン族の元へ帰ったマンサーは、ジャングルで消息を絶った。現在66歳になっているマンサーは、生きていれば人権・森林保護活動を続けているはずだ。 

マンサー役のスヴェン・シェルカー氏(右)。プナン語の台詞は音声で覚えたという|© Tomas Wüthrich

 そのマンサーがプナン族と暮らし、消息を絶つまでの期間が映画化された。『ブルーノ・マンサー 熱帯雨林の声 Bruno Manser – Die Stimme des Regenwaldes』は、2019年11月からスイスで上映され、多数の観客を動員し、大きな話題を呼んだ。

Text by 岩澤 里美