着なくなった服の行き先

eri(mother/DEPT)

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 どうやって長く付き合えるものを探すかという話をする前に、私たちが捨てるものがどうなるのかを一度考えてみたい。

 2000年代にファストファッションというものが登場したことで、世の中に流通する衣類の数は爆発的に伸びた。欧米のメゾンが最新のコレクションを発表したのち、そのシーズンのトレンドを分析してデザインした商品を、驚異的なスピードで店に並べることからその名前がついたファストファッションは、高いお金を出さなくてもトレンドに準じたスタイルを安価に取り入れられるという意味でファッションを民主化した一方で、これだけ安いのなら、着られなくなったらいつでも処分できる、という新しいメンタリティを生み出す結果になった。ファストファッションの功罪はこれまでいろんな形で語られてきたが、そこで生まれた問題の規模は今ひとつ理解されていない。

 これを読む読者のみなさんは、不用品をどうやって処分しているだろうか? アメリカでは寄付をすれば控除されるという税制のおかげで、年度末になるとたくさんの市民が不用品を救世軍やグッドウィルといった非営利団体に寄付する習慣がある。その後不用品は、そうした団体が運営する「スリフトショップ」(日本でいうところのリサイクルショップ)に並び、ヴィンテージのバイヤーに掘り出されたり、貧困層や若年層に安価で商品が提供されたりする、という仕組みになっている。そしてこのシステムが物を処分することの罪悪感を軽減してきた面がある。ところがファストファッション登場以降、寄付されるものの物量が圧倒的に増えた。

 私は若い頃から、寄付する側としても、掘り出す側としても、こういった非営利のセカンドハンドショップを大いに活用してきた。かつて友人が、売上をAIDS患者支援団体に寄付するスリフトショップで働いていた。このショップは、高額の売値が付く商品に力を入れていたが、寄付された物から宝を探す仕事をしていた彼女が、店に出さないものは、さらに別の非営利団体に送るということを聞いた。こうして、店から店へと動くなかで、物資は量を減らしたり増やしたりながら、最終的には、主にアフリカの「恵まれない国」に送られる、という説明だった。アメリカの古着業者は実際、アフリカの古着ディーラーに貨物を売り、これが何度か取引を繰り返し、末端の消費者のもとに届く。

 2018年3月に、EAC(東アフリカ共同体。ウガンダ、ケニア、タンザニア、ブルンジ、ルワンダからなる)では、アメリカからの古着と靴の輸入を2019年までに禁止する法案が提出された。アメリカから届く不用品の物量が大きくなりすぎて価格破壊を起こし、国産の物が相対的に高く見える。すると国内の製造業が成長しないという問題につながっている。つまり「助けている」つもりが、アフリカ経済に傷つけているということだ。

 古着の流通ルートを見極めるのは難しい。バンコクの巨大マーケット、チャットチャック・マーケット(通称JJマーケット)の一角に、セカンドハンドや古着専門のベンダーが集中する場所がある。ロックプリントのTシャツ、リーバイスのデニム、軍モノ、アメリカ製の物を中心に、おびただしい量の古着が所狭しとひしめき合っている。明らかにプロまたはアルバイトと思われる「ディガー(掘る人)」たちが、衣類の山を漁っている。アメリカと日本のヴィンテージのディーラーたちに確認すると、バンコクの物価の上昇やインターネットによる価格の透明化によって、日本やアメリカの市場に出せる物を見つけるのが難しくなっているという。一方、バンコクに最近できたアメリカの軍モノを中心に扱う古着ショップの店長に仕入先を聞くと「日本」という答えが返ってきた。つまり古着は、多様なルートを通って、世界中を流通していることになる。

Text by 佐久間 裕美子