モノにコミットして、「捨てる」を減らす

© Yumiko Sakuma

 私たちが生きている世界は人間たちが出すゴミでパンク寸前なのに、「断捨離」や「人生がときめく片づけ」の文脈で、「捨てる」という行為の罪はあまり語られない。

 ある日、ゴミの集荷が来なかったら、そしてそれが1週間続いたら?、と想像してみてほしい。 私は実際にちょっとした災害ですぐに麻痺してしまうニューヨーク市で、それに近いことを経験した。大雪が何日か続き、ゴミの集荷が停止されたのだ。自分が暮らす、わずか8戸しかアパートのない低層ビルの前に積み上げられたゴミの山を見て、呆然とした。

 ニューヨークでは年間1400万トン以上のゴミが出るという。抽象的すぎて想像するのが難しい量のゴミを処理するために、23億ドルの予算が割かれている。燃えるものは燃やされ、紙、瓶、缶といったものは再利用される。燃えないものは埋立地に持って行かれ、ゴミの山に加わる。山は大きくなる一方である。

 燃えないゴミの中でもプラスチックはやっかいだ。動物たちが食べ物と間違えて食べてしまうために、鳥や魚が大量に死に、生態系を脅かしている。破片などが水路に入り込んで水を汚染したり、その流れを妨害したりする。燃やすこともできないので、永久にそこに存在し続けることになる。

 私たちが日々従事している行為には、必ず環境破壊がつきまとう。飛行機に乗る、車を運転する、ゴミを出す。生産が追いつかないスピードでエネルギーを消費し、ゴミを出し続けている。あまりにも無自覚に。

 ニューヨークのゴミの山を見たことをきっかけに、そういうことを考えた。私が旅をするごとにたくさんのエネルギーを消費していること、過剰に包装された商品を無自覚に受け取っていること、分別したゴミを出して責任を果たした気持ちになっていたこと……。せめてできることは、ゴミを極限まで減らすことだと、それがひとつのゴールになった。

 それは簡単なことではなかった。生ゴミはコンポストする、すべての物の再利用方法を考える、オンラインでの買い物は控えて、実店舗で買い物をする、リサイクルセンターを利用する、できるだけ天然素材のものを買う、捨てなければいけなくなるようなものを買わない、などなど。実践すると、とりあえず買い物は減った。ひとつの物を買うのに、いちいち真剣に考えるようにもなった。ヴィンテージのものと、友達が作るものだけを買う、というトライアルもやってみた。レザーによる環境破壊を知って、レザーが使われているものを買わないことにした。同時にフェイクファーやヴィーガン・レザーと呼ばれるものの大半は、生産の工程で石油が使われていることを知って落胆した。消耗品は買いたくないというチャレンジをした結果、 値段とクオリティは比例しないということを思い知った。

 こうして自分なりにいろいろやってみて、再確認したことがある。モノを使う、服を買うといった行為は、私たちの日常の一部でもある。コミュニケーションの手段であり、自己表現でもある。現代の社会生活においては、自分という人間が判断される材料にもなる。優れたスタイルには、自分の印象やバリューを上げる効果がある。それと同時に人間は本能的に、美しいもの、心躍らせてくれるものを求める動物である。だから、「環境が破壊されているから服を買うのをやめましょう」と言ったところで現実的ではない。

 となると、できる次善のことは「買ったものは捨てない」、もっと正確には、「捨てなくてもいいようなモノを買う」ということしかない。できればずっと人生をときめかせてくれるような物を。できるだけ環境への負荷に配慮しながらも、「着る」「使う」「食べる」といった行為を楽しみ、自分のスタイルを持つ、欺瞞に騙されない賢い買い手になりたい。私のこのチャレンジは、一進一退を繰り返しながら、今も進行中だ。

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Text by 佐久間 裕美子

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