モノにコミットして、「捨てる」を減らす

© Yumiko Sakuma

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 この始まったばかりの連載の冒頭に、前提条件として書いておきたい。私は モノが大好きです、と。

 登壇させてもらったトークショーに「もたない生活革命」というタイトルがついていて、密かに冷や汗をかいたこともある。なぜなら私は、モノへの執着をまったく捨てられていないし、捨てるつもりもないからである。洋服は、触るのも、買うのも、着るのも大好き。 作り手に出会えば、その人が手を動かして作ったものが欲しくなるし、海に行けば貝殻を、川では流木を、山からは石を拾ってくる。

 そのうえ、捨てられない性分である。穴の開いたセーターも、破れたジーンズも、人からもらった手紙も、捨てられない。そんなことだから増え続けるモノに囲まれて生活している。本や雑誌があふれ、部屋のひとつはクローゼットと化し、棚という棚にはクラフトや友達のアート作品、石や貝殻や流木が置いてある。誰が何のために作ったのかわからないオブジェや、いつの間にか集まってしまった写真、うちに泊まった人たちが残していった置き土産が至るところに飾られている。

 自分のような人間をアメリカでは“hoarder”(ホーダー。溜め込む人)と呼ぶ、ということを、 ヴィンテージの世界で生計を立てるホーダーたちに出会って知った。 彼らのおかげで、たいていの物には何かしらの価値や利用方法があるのだと知った。そして大体のものは古ければ古いほど価値があるのだと。彼らとの出会いによって、自分の溜め込み癖について開き直ることができた。

 いつから自分がそんなにモノを好きになったのかを考えてみると、自分が育った環境や時代背景、これまで見てきたものと大いに関係があるように思うので、少し思い出話をしたいと思う。

 1973年に母の実家があった名古屋に生まれ、東京で育った私は、70年代後半に起きたオイルショックによる不景気の記憶もほとんどなく、豊かな時代に育ったと言えるだろう。「豊か」と言えば、一番古い記憶をたどると、小学生のときに住んでいた街には、個人経営の店がつらなる商店街があった。今のように、東京のいたるところにキラキラした商業施設があるような時代ではなく、近所のジーンズ屋の店員のスタイルに憧れて育った。

 80年代から90年代にかけて、日本はバブル経済を享受した。トヨタやソニーといった日本のメーカーの全盛期、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉が登場したこともあった。うちはサラリーマン家庭だったから、バブル経済をそれほど近くに感じることはなかったが、世の中には、各世帯の所得やステータスは身につけるものや所有するものに表れる、というルールができた。この頃の日本では、汚れたりしたものは捨てる、ということが当たり前になっていた。捨てられない=貧乏くさい、というイメージができてしまって、「捨てる」ことも、ある意味ステータスになったのだと思う。「もったいない」という、日本が生み出した素晴らしい概念は「貧乏くさい」とイコールになってしまった。

 高校生くらいになると、服装で自分を表現する、ということを覚えた。大学生になる頃にはヴィンテージに目覚め、同世代の男の子たちと張り合って、ナイキやリーバイス、ビルケンシュトックのレアものを漁るようになった。 ボロボロの物にはあまり触らず、デッドストックや状態の良いものを探した。社会人になって「大人とはそうするものだ」と、一度はヴィンテージを卒業したが、さんざん回り道をして、自分は古いものが好きなのだと自覚するに至った。

 日本には、2000年代に入って欧米からファストファッションがやって来て、トレンドに合ったものを手軽に、しかも大量に、手に入れることができるようになった。2008年に世界的な金融危機が発生し、日本では2011年に 東日本大震災が起きて、消費者の嗜好に変化が見られるようになった。2009年には『新・片づけ術「断捨離」』(やましたひでこ著、マガジンハウス)が、2010年には『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵著、サンマーク出版)が大ヒットして、世の中は、「モノを減らす」方向に向かった。さらには物欲を否定する考えが登場し、ミニマリズムが一定の支持を集めた。物欲=ダサいという構図ができた。

 自分の周りにも、「断捨離」や 「人生がときめく片づけ」を実践して、よりクリアな気持ちで生活できるようになった、という人は少なくない。物への執着から解放されたいという気持ちも、もちろん理解できる。たしかに、たかが「物」が自分を満たしてくれるという考えには、浅はかなところもあるのだろう。

 けれど私はどうしても「ときめかないものを捨てる」という行為に賛同することができなかった。自分も度重なる引越しの際や節目節目に物を処分してきた。もちろん思い出さない程度のものもある。けれど今振り返って、どうしてあんなに大切にしていたはずのものを処分してしまったのだろうと、後悔のほうが多い。

Text by 佐久間 裕美子