今回の香港デモでわかったこと 中国の限界、一国二制度の矛盾

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 今回明らかになったことだが、中国の最高指導者は全能ではないのかもしれない。

 香港での大規模で破壊的な抗議デモを前にして、中国政権はたじろいだ。抗議の原因となった条例の審議が延期される決定がなされたものの、政権がかけられる圧力、もしくはかけようとしている圧力には限界があることが示された。また、半自治権を有する特別行政区の香港に適用されている「一国二制度」が持つ根本的な矛盾も明るみになった。

 中国の習近平国家主席は2012年の就任以降、権力の座を固めてきた。習政権は、情報、宗教、その他の社会的な側面について統制を強めてきた。香港では親独立派の政党を認めず、2014年の抗議運動を主導した人物を収監し、英フィナンシャル・タイムズ紙編集長のビザ更新を拒否した。

 これら一連の動きを活動家たちは香港の自由をなし崩し的に奪うものだと非難したが、市民はおおむね通常の生活を送っていた。その後、中国政府の後押しを受けた自治政府があまりにも深入りしたため、人口740万の香港で何百万もの人々が抗議活動に参加する騒ぎに発展した。

 習政権としては、共産党支配の強化を図ろうとする試みと国際的な金融センターの安定性というバランスを図る意図があったとみられ、香港が北京の支配から逃れないようにする、さらには独立を要求しないようにするのが理想だった。

「かなりの権力を掌握したという事実はあるにせよ、習政権が圧力に対し無頓着ではいられない兆候が表れた」と、オーストラリア・ローウィー研究所の中国専門家で『Generation HK: Seeking Identity in China’s Shadow』の著者でもあるベン・ブランド氏は述べている。

 香港の犯罪容疑者を中国本土での裁判のために引き渡すことを認める条例の改正案を特別行政区行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)氏が提案した際、中国政府の意向が働いているのではないかとの不安が広がった。中国政府は提案を支持するものの、発案したのは長官であって中国ではないとしていた。

 この提案により、中国の支配と香港の未来に関する懸念に火がついた。多くの人にとって、本土の制度で裁かれるという考え方は、香港が1997年にイギリスから中国に返還される際、社会的、法律的、政治的な制度を50年間保持することを保証した「一国二制度」に疑問を投げかけるものだった。

 その後20年間にわたり、この枠組みは幾度となく試練を迎え、中国が香港に向き合う際に厄介な問題となっていた。中国専門家のケビン・キャリコ氏が述べているように、香港の行政長官は、活動家が要求するような民主選挙で選ばれるわけではない。林鄭月娥(キャリー・ラム)氏も、中国を支配する共産党関係者で構成される委員会によって選ばれた人物だ。長官が恩義を受けているのは中国政府であって、香港市民ではない。

 そのため、6月9日に大規模な抗議活動が起きても林鄭氏は粘り続け、12日になって立法会(議会)周辺で警察とデモ隊が衝突した。最後は15日に長官が謝罪したものの、16日の抗議活動は結果的に9日を上回る規模となった。

 オーストラリアのモナシュ大学で中国を研究しているキャリコ上級講師は今回の抗議活動について、習政権による香港への強硬的な接近が失敗した事例だと指摘している。それには、2014年に始まった民主主義を求める「雨傘運動」以降、抗議の要求に応える、またはそれを認めるという方針からの転換も含まれる。

 バランスをはかる対応が続いているが、中国が香港を制御しようとする動きを止めるわけではない。

「中国政府は、一つの国としての団結を弱らせるために二つの制度を利用しているとみられる動きを終わらせる決断をした」とブランド氏は述べている。「一方、香港の人たちは、自由を求めて争う意思を鮮明にしている」としている。

 香港で現在起きていることは、2003年の出来事に似ている。中国本土の制度をモデルにした国家安全保障法を反対派が厳格とみなし、大規模な抗議行動によって政府は提案の取り下げを余儀なくされた。

 最終的には中国政府が選出した指導者が辞任したものの、根本的な問題は解決されず、2012年、2014年、今年と抗議活動が繰り返された。

「このようなサイクルが続くのは、香港行政長官の選出方法が原因だ」とキャリコ氏は話している。

 習近平氏と中国は一歩後退したのかもしれないが、双方の要求に隔たりがあることを考えると、政府が提案し、大がかりな抗議活動が起きるというパターンは今後数年の間も繰り返される可能性がある。

By KEN MORITSUGU Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP