ヘレン・ケラーの名言は生き方のヒントになる 奇跡の人の生涯をたどる

ヘレン・ケラーの名言は生き方のヒントになる 奇跡の人の生涯をたどる

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「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重苦を抱えたヘレン・ケラーは、どのような人生を歩み、どのような偉業をなしたのか。そして彼女を隣で支え続けたサリバン先生は、影の立役者である。サリバン先生と協力して歩んだヘレン・ケラーの幼少期の軌跡とその後の偉業を、名言と共に紹介する。

三重苦を持つヘレン・ケラーとサリバン先生との歩み

三重苦を持つヘレン・ケラーとサリバン先生との歩み

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幼少期に病気で三重苦を抱えることとなったヘレン・ケラーは、サリバン先生と出会うことで、言葉を取り戻していく。言葉を知ったヘレン・ケラーは旺盛な好奇心を活かしさまざまなことを学び、名門大学に合格するまでに才能を開花させる。卒業後は障がい者のために精力的に活動しながら、学生時代からの執筆活動も行い、数々の名言を残していく。

名前Helen Adams Keller saying
(ヘレン・アダムス・ケラー)
出身地アメリカ合衆国アラバマ州タスカンビア
生年月日1880年6月27日
没年月日1968年6月1日(享年87歳)
埋葬場所ワシントン大聖堂

三重苦となったヘレン・ケラー

ヘレン・ケラーは誕生したときは健常児で、6カ月で片言を話し、1歳のときには歩くようになった。この頃のヘレン・ケラーが覚えた言葉の1つに、「WATER(水)」がある。彼女は「ウォー・ウォー」と発したという。

1歳7カ月のとき、ヘレン・ケラーは突如原因不明の高熱や下痢に襲われる。苦しみぬいた数日間の後、一命を取り留めた彼女の目と耳はもうすでに使えないものになっていた。しょう紅熱が原因とされる髄膜炎をきっかけに、「見えない」「聞こえない」「話せない」三重苦を抱える障がい者となったのだ。

1800年代当時は、「障がい者の教育は必要ない」とされていた時代であった。しかし見識の高い両親は希望を捨てずに、ヘレン・ケラーの教育に力を注いだ。その甲斐もあり、聾唖の研究者や盲学校の校長先生の伝手により、ヘレン・ケラーは1人の家庭教師を迎えることとなる。それが、後にヘレン・ケラーの生涯の友人となるアン・サリバン先生だ。

サリバン先生との出会いと奇跡

教育云々の前に、三重苦を抱えたヘレン・ケラーを人の人間として育て上げるのは大変だったという。2歳を迎える前に言葉を失った彼女の自己主張は、噛んだり叩いたり蹴とばしたりであった。そうするほかに、言いたいことを伝える手段を持たなかったのだ。

ヘレン・ケラーが7歳でサリバン先生を迎えたときも、気に入らないことがあれば癇癪を起こし、手づかみで食事をする有様であった。そのような彼女にサリバン先生は、無理やりスプーンを持たせて食事マナーを厳しく教え、指文字でより具体的にコミュニケーションを取る方法を伝えていく。身振り手振りで伝えていた今までの手段より、ずっと細かく伝えられる指文字を彼女は次第に受け入れていく。

根気強いサリバン先生の指導は、ようやく実を結ぶ。ある日不機嫌なヘレン・ケラーを外の井戸に連れ出し、井戸の水を手に浴びせながら、サリバン先生は何度も何度も指文字で「WATER」と伝えた。このことから、ヘレン・ケラーは1歳のときに覚えた言葉「ウォー・ウォー(WATER)」を思い出すのだ。物には言葉があることに気づいた奇跡の瞬間である。

世界が広がったヘレン・ケラーは、その後点字を覚え、発声法を身につけた。「今日は温かいです」と自分の声でたどたどしく話すこともできるようになる。

そして、自分の力で名門大学に合格し、在学中も執筆活動で学費を稼ぐまでになった。言葉をなくした幼少期から言葉を話すまで、すべてが奇跡のようなエピソードだらけである。

大人になったヘレン・ケラーは世界中の障がい者のために活動

大人になったヘレン・ケラーの活動は世界に広がっていく。世界的な貢献と日本における活動について紹介する。

世界的な貢献

優秀な成績を納めて大学を卒業したとき、ヘレン・ケラーの大学卒業を祝した講演会が大盛況を収めたことがある。それ以後、彼女は世界各国で講演会を開き、訪れた国では福祉事業が数多く生まれた。ヘレン・ケラーが世界の福祉事業を前進させたといっても過言ではない。

卒業後、彼女は障がい者のために生きることを決意し、盲人教育委員会の盲人代表となる。2年勤め上げた後、アメリカ盲人援護協会の広告塔となり、募金活動を行った。「ヘレン・ケラーのために財布の口を開けましょう」という広告塔のスローガンから、世界における彼女の影響力の大きさがうかがい知れる。当時の自動車王ヘンリー・フォードや石油王ジョン・ケラーも募金に参加し、100万ドルもの大金を集めることとなる。

日本における活動

ヘレン・ケラーは日本にも3回訪れている。初回は全国で講演会を開き、観桜会で昭和天皇と拝謁している。1951年には東京で第一回アジア盲人福祉会議を開催し、身体障害者福祉法が日本で初めて制定された。

ヘレン・ケラーの名言19選

ケラーの名言19選

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幼き頃に目と耳の障がいを負うことになったヘレン・ケラーは、健常者でも難しい名門大学を卒業した。常人なら諦めてしまいそうな困難を乗り越えてきた彼女の言葉には、名言と呼ぶのにふさわしい言葉が溢れている。作家でもあった彼女の言葉に耳を傾ければ、人生の壁を乗り越える勇気が湧いてくるだろう。

ここではヘレン・ケラーの生き様がわかる名言から、人生の数々の困難を乗り越える勇気が出てくる言葉などを紹介する。

ヘレン・ケラーの生き様が分かる名言

「私は、自分の障害を神に感謝しています。 私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです」

「目が見えないことは悲しいけれど、見える目で何も見ないことはもっと悲しい」

「私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ」

ヘレン・ケラーは目が見えないからこそ、目の前の人や物事を大切にし、小さな仕事もしっかりとやり遂げてきた。我々は見える目があるからこそ、大切なことを見失ってはいないだろうか。目を閉じて、自分が大切にしていることや生涯のやり遂げる仕事について今一度見直すべきだ。

前向きに生きようと勇気が湧いてくる名言

「顔をいつも太陽のほうにむけていて。影なんて見ていることはないわ」

「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは、心で感じなければならないのです」

「人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです」

彼女自身は盲目で光を感じられないにもかかわらず、彼女の世界は明るい。彼女の名言から前向きに生きようと勇気が湧いてくる。

苦難が生じたときに聞きたい名言

「探しているものは外になく、自身の中にあるものです」

「もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう」

「ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない」

「個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、洞察力が研ぎ澄まされ、野心が鼓舞され、成功が手に入るのです」

「何か素晴らしいことを達成するための努力というものは、決して無駄にならないことを覚えていなさい」

困難を乗り越えた先に見える景色があると彼女は言っているのだろう。決して楽しいことばかりではないけれど、辛いことを耐え忍び、乗り越える勇気を学ぶ。辛いことばかりに目を向けて、せっかく努力して開けた新しいドアに気づかないのはもったいない。努力は無駄にはならないと信じて頑張ろうと思える言葉である。

仕事にやる気が出てくる名言

「ある時代の異端が、次の時代の正統になるのです」

「元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです」

「ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません」

「あなたは困難な仕事を自分に課しましたが、あきらめずにがんばれば、うまく行くのです。そして、成功への障害を克服することが喜びとなるでしょう」

彼女は社会福祉活動家であり、政治活動家であり、作家でもある。そのような彼女の仕事ぶりから、仕事に対してやる気が出てくる名言もたくさんある。彼女の名言から、きっと自分の持っている仕事に誇りが持てるようになるだろう。

ヘレン・ケラーの毒舌な名言

ヘレン・ケラーの名言のなかには、辛辣な言葉もある。自分が言われたらドキッとするような名言を紹介する。

「世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人だ」

「人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか」

「大きな目標があるのに、小さなことにこだわるのは愚かです」

「悲観論者が、星についての新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたことは、いまだかつてない」

人生に大きなビジョンはあるのか?と問い、悲観せず勇気をもって、目標に突き進むことをよしとした名言である。

ヘレン・ケラーの名言を深く知る本の紹介

ヘレン・ケラーの名言を深く知る本の紹介

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ヘレン・ケラーが残した本にも、多くの名言がある。ヘレン・ケラー自身が執筆した本はもちろん、ヘレン・ケラーの一生を描いた本を読むことでも、彼女をより深く知れるだろう。

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝(新潮文庫)

 

 

奇跡の人ヘレンケラー自伝

 

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ヘレン・ケラーが22歳のときに執筆した書籍である。光と音を失った幼少期からどのような世界で育ち、どのように進学したのかを心情を交えて詳細に綴っている。奇跡の人とは、ヘレン・ケラー自身のことであると多くの人が誤解しているが、原題は「The Miracle Worker」といい、サリバン先生を指す。

わたしの生涯(角川文庫)

 

 

わたしの生涯(角川文庫)

 

出典:Amazon

ヘレン・ケラー自身が執筆した書籍で、タイトルの通り、幼少期から、大人になった彼女の社会活動について書かれている。目が見えない世界について彼女が触れたり感じたりしたことを豊かに表現している。また、障がい者を特別扱いして保護するのではなく、対等に活躍できるよう支援するべきだとする考えは、現代の福祉の目指すべき姿といえる。

なお、翻訳者の岩橋武夫は、日本での友人であった。日本に来るようヘレン・ケラーに手紙を書いた本人であり、それに応える形で彼女来日を果たした。

ヘレン・ケラーはどう教育されたかーサリバン先生の記録ー(明治図書出版)

 

 

ヘレン・ケラーはどう教育されたかーサリバン先生の記録ー(明治図書出版)

 

出典:Amazon

サリバン先生が残した手紙をもとに、サリバン先生の視点で書かれた書籍である。ヘレン・ケラーとのやりとりを通じて、サリバン先生のヘレン・ケラーに対する愛情と、ヘレン・ケラー成長の様子が分かる。子どもの好奇心を上手に活かした、サリバン先生流の子どもの育て方を学べるだろう。

ヘレン・ケラーの名言から困難を乗り越える強さを得よう

三重苦の生涯を乗り越えた奇跡の人、ヘレン・ケラー。どうしようもない運命を努力と誠実さで切り開いてきた彼女の言葉だからこそ、視聴覚障がい者だけではなく、全世界の人々の心に響くのだろう。困難を乗り越え、明るく生き抜くための人生の金言としたい。

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Text by NewSphere 編集部