スイスの貧困、増えるソーシャル・スーパーの利用者

CARITAS SCHWEIZ ©Corinne Sägesser

 世界的なインフレで、スイスでも食品や日用品の価格が上昇気味だ。たとえば、コロナ禍の最初の頃、スイスでも買い占め行動が起きて品薄になったトイレットペーパーの値上がりは明らか。期間限定お買い得品としてスーパーに並ぶトイレットペーパーの値札には「オリジナル価格」と「値下げ価格」が書かれているが、値下げ価格は当時よりも高い。

 オンラインショップも同様だ。2020年3月末に筆者がスイスの主要ネットショップで注文したベルガモットの香りの再生紙トイレットペーパー(12個入り)は、今では1.65フラン(約280円)値上がりしている。このような状況のなか、スイスでは低所得者が利用する特別なスーパーの利用率が増加している。

◆低所得者専用のソーシャル・スーパー
 ヨーロッパでは通常のスーパーなどから余剰品を集め、通常価格よりも低価格で販売する「ソーシャル・スーパーマーケット」が広まっている。顧客は低所得者限定だ。

 ソーシャル・スーパーマーケットはフランスで1980 年代後半に考案されたという。約10年前の時点で、フランスにはおよそ700のソーシャル・スーパーマーケットがあった(調査:ヨーロッパでのソーシャル・スーパーマーケットの導入)。ドイツやオーストリア、イギリスにもある。

 スイスでは、1992年に最初のソーシャル・スーパーマーケット「カリサット」が登場した。現在「カリタス・マルクト」と改称されているこの店は全国にネットワークを広げ、23店舗を展開するまでに成長している。販売品目は1000を超え、小売業者と比較して最大7割安いという。商品を提供するパートナーは大手スーパー、ネスレ、大手乳製品業メーカーのエミー、ヘアケアブランドのシュワルツコフといった400以上の企業だ。生活保護受給者、最低の生活水準を確保できるように補足給付金を受けている年金受給者、債務返済者といった低所得者が対象で、無料の会員証(顔写真つき)を支払い時に見せればどこのカリタス・マルクトでも買い物ができる。

◆ソーシャル・スーパーの利用者数が記録更新
 カリタス・マルクトは、一人親家庭や失業者など、貧困に苦しむ人々を救うサービスを提供する団体カリタス・スイスが運営している。カリタス・スイスは、難民や移民がスイスで不平等なく生活できるように支援したり国内の災害救援も行っている。国外での貧困対策にも取り組んでいる。

 2023年のカリタス・マルクトの売上高は前年から約11%増加し、1780万フラン(約31億円)となった。来店者数も前年より約5万人増え、110 万人が買い物をした。このように記録的な利用者数となった大きな理由はインフレだ。カリタス・マルクト統括責任者のトーマス・クンツラー氏は「物価上昇を最も感じるのは、生活するのに十分なお金がない人たちだ」と語る。カリタス・マルクトでは、サプライヤーからの商品寄付と各種財団から寄付のおかげで、全体的に商品価格を抑えることができたという。

 クンツラー氏は、経済的に余裕のない人たちもバランスの取れた食事をとれるようにすることが何より大切だと言う。その言葉の通り、カリタス・マルクトでは品揃えに配慮し、新鮮な野菜や果物などの生鮮食品も販売している。パッケージに小さな傷があったり賞味期限が短い商品もあり、カリタス・マルクトは食品ロス対策の一つにもなっている。非食料品の廃棄の減少にも貢献している。

カリタス・マルクトの出入り口|CARITAS SCHWEIZ ©Ghislaine Heger

◆「選んで買う」という行為が自尊心に
 低所得者向けの食品サービスといえば、フードバンク(無償配布)が知られている。貧しい人々に食事を無料で与えることは模範的な行為だ。しかし、カリタス・マルクトは経済的に困難な状況の人たちも「買うという行為ができる」ことで社会的な偏見が軽減され、人間の尊厳を保つことにつながると説明している。

 筆者の知り合いのタニヤさん(仮名)は何年もの間、カリタス・マルクトを利用している。タニヤさんは「カリタス・マルクトは大型チェーン店のように近所にあってすべてが揃っているわけではないですが、生活に必要な食べ物や日用品が非常に安価で購入できます。安いから質が悪いということはないですね。安心して利用できます。ぎりぎりの生活費で生きている人にとって、カリタス・マルクトは本当にありがたいです」と話す。タニヤさんの10代の子供は、さまざまな食材を使って料理するのが趣味だという。

◆裕福なスイスにも貧困者が大勢いる
 スイスは銀行や保険業など金融産業が非常に発達した金融国家で、世界で最も裕福な国・地域ランキングで上位にも入る(米グローバル・ファイナンス誌)。日本ではアメリカの物価高がよく報道されているが、スイスも負けないほどだ。

 ボトル入りの水を例に挙げると、レストランで注文する(330ミリリットル)と600円以上だし、店で買う場合(1.5リットル)も170円以上で、ほかのヨーロッパの国々より高い。筆者は、ドイツやフランスなど周辺国から初めてスイスに来た人たちが「値段がほぼ何でも自国の2倍だ」と驚くのをいつも耳にしている。住居費の相場も高い。スイス政府が発表している統計によると、3LDKの新築の平均月額家賃は2138フラン(約37万円)、20年以上住んでいる場合は1313フラン(約23万円)だ。

 物価が高いスイスでは収入も高く、バランスが保たれている。スイス連邦統計局の2015~2017年データの34歳以下の平均生活費を見ると、平均月収は6078フラン(約105万円)で、税金や保険料が引かれて4562フラン(約79万円)になる。この8割近くの3564フラン(約61万円)が住居、食、衣類、交通、交際や余暇活動に使われる。酒類・タバコを除く食費だけを見ると293フラン(約5万円)かかっている。これにアップグレード用の保険料を払ったり寄付もすると、895フラン(約15万円)が貯蓄分として残る。なお、調査対象者の5割以上が車を所有し、ほぼ9割がコンピュータを、およそ全員が携帯電話を持っている。

 これに比べ、貧困に苦しむ単身者が使える毎月の金額は最大2284フラン(約39万円)だ。経済的に豊かな環境にいると低所得者のことにはあまり目が向かないが、人口約870万人のスイスでは、子供も含めて70万2000人が貧困の状態にある。貧困層の一歩手前で暮らしている人も含めると、134万人が経済的に困難ななかで日々過ごしている。(カリタス・マルクト、数値は2022年)

 このような背景から、カリタス・マルクトは今後も、厳しい状況下に置かれた人たちを支えていくことになるだろう。

Text by 岩澤 里美