戦争ラップ:志願兵となったラッパー、ウクライナの怒りを音楽に

Natacha Pisarenko / AP Photo

 若者の怒りと憤りが詰まったラップ音楽がウクライナの戦場から聞こえる。彼らは戦いが終わっても決して忘れることはしない。そして二度と許すこともないだろう。

 ロシアからの砲撃のさなか、志願兵へと転身したウクライナのラッパー、オトイは携帯電話を使い、戦争を言葉に置き換え、ベースラインを叩き、そしてリリックを紡ぎ出している。標的にならないように照明は落としてある。こうすることで、戦闘からの気の詰まるようなストレスを麻痺させることができる。

 本名はヴィャチェスラフ・ドロファ。悲しげな眼差しを浮かべる23歳のラッパーは「ロシア人兵士はウォッカを飲み、私たちは音楽を作ります」と話す。戦争が始まったころ、視界に入った一人のロシア人兵士に向けて引き金を引くまで、誰かを殺すことができるなんて考えもしなかった。

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 プーチン大統領は2月24日に侵攻を開始し、ウクライナの都市や街を破壊するよう命じている。これにより、プーチン氏は消滅させたいと思っていたもののひとつを自ら駆り立てるという皮肉を招いた。何万ものウクライナ人犠牲者が流した血と、愛する人や家、生活、平和を失った数百万もの人々が直面している悲惨な状況に突き動かされ、ウクライナにおけるナショナリズムが高揚しているのだ。

 第1次世界大戦と第2次世界大戦により、フランスは四半世紀を経て2度ドイツに侵略された。フランスでは多くの人がドイツを許すことは不可能であると考えていたように、ウクライナでも数ヶ月にわたって繰り返される残虐行為により、ロシアに対して激しい憎悪が渦巻いていると若者たちは話す。

 ドイツに関するものすべてに対するフランスの嫌悪感は世代が変わってもなお続いた。ナチスドイツ降伏後40年が経過した1984年に初めて、第1次世界大戦の犠牲者を追悼するフランスの納骨堂にて、フランソワ・ミッテラン元仏大統領とヘルムート・コール元独首相が手を取り合い和解の意を示した。

 1991年のソビエト連邦からの独立宣言後に生まれたウクライナの若い世代は、生涯を通して、ロシアに対し嫌悪感以外の感情が芽生えることは考えられないと口を揃える。

 ロシアに向けた罵りやロシア人戦死者に対する赤裸々な描写が多く織り込まれたオトイのリリックは、心から発せられる言葉である。オトイは兵士であった兄を亡くしている。ロシア軍によって包囲され、壊滅的な被害を受けた港町マリウポリのアゾフスタリ製鉄所で闘っていた。

 若者たちは一方で、多くの同胞が共有する静かな怒りに言葉を与えている。その言葉はいまや歌やアート、タトゥーのなかにあふれ出し、さらにオンラインでのハッシュタグをつけた意思表明『#deathtotheenemies(敵に死を)』、プーチン大統領を標的とするミーム、そして戦争遂行能力を維持するための寄付金を集める活動へと広がっている。

 オトイは戦場で爆弾や兵器を最前線の部隊へ運ぶ仕事に従事していた。その合間をぬって書いた4曲のうちの1曲が『Enemy(敵)』だ。「怖くはないが吐き気がする。おまえたちの心臓は鼓動していようとも、腐った匂いがするのだ。銃弾がおまえを待っている、悪人め」とロシア人兵士を罵る。

 オトイは、殺されたロシア人兵士の未亡人を侮辱する様子を想像しながら「ところでナターシャ。夫はどこにいる? うつぶせのまま沼地に沈んでいるのさ。ナターシャ、彼はもう戻ってこない」と歌う。ほかの曲もまた、戦争を題材にしたものである。

 ヘビーメタルバンド「Surface Tension(サーフェイス・テンション)」は、猛々しい曲『We will kill you all(おまえたちは皆殺しだ)』のなかで「おまえたちの骨の上でダンスを踊ろう。ママはもうおまえのところには来ないだろう」と叫ぶ。罵りの言葉が織り交ぜられたこの曲は4月5日にYouTubeに公開され、それ以降の通算再生回数は5万9000回を超えている。

 資金調達を目的としたミュージック・フェスティバルが6月5日、ウクライナの首都キーウで開催され、オトイが熱烈なパフォーマンスを披露した。観客の1人であるイリーナ・オシペンコ氏(25)は、侵攻前にロシアに抱いていた不安が掻き立てられて激しい怒りへと変わった様子を明かし、泣き崩れた。

 同氏は「私はロシアが憎いです。残念ですが、今後も変わることはないでしょう。自分の子供には話して聞かせるつもりですし、その子もまた、自分の子供に伝えてほしいと思っています」と述べる。オトイは、自分に子供がいれば同じように「ロシア人によって自分の家族、兄弟姉妹が殺され、映画館や病院に爆弾が落とされた」ことを伝えるという。

 オトイはキーウにある自宅アパートで「ロシアが好きではないだけでなく、この国を憎んでいます。そして、この上なくロシア人に憎悪を抱いています」と答えている。銃や戦闘装備の揃った部屋でレコーディングを行っているという。

Natacha Pisarenko / AP Photo

 オトイは「犬の命かロシア人兵士の命か、救う命を選べるのであれば、犬の命を優先するでしょう」と言う。アゾフ連隊に所属する戦士だった兄のドミートリー・リーセン氏は行方不明になっており、爆撃で廃墟と化したマリウポリのアゾフスタリ製鉄所で犠牲になったとされている。同隊は包囲された製鉄所で3ヶ月近くの間、抗戦を続け、決して屈しないウクライナの抵抗を示す象徴となった。

 オトイは、アゾフスタリ製鉄所に留まっている戦士たちに自身の曲『Find My Country(私の国を取り戻して)』を捧げた。英語でラップを歌うのは、世界中の人々にメッセージを届けるためだという。

 YouTubeに公開されたミュージック動画では、オトイはライフルを抱え、戦闘装備を身にまといながら「ここは私の国、おまえたちは立ち去らなければならない。キスや夕暮れ、いつまでもベッドに入りたくない夜、そんなかつての金曜日が恋しい。いまやみんな兵士だ」と歌う。

 最近オトイは軍の病院で、ロシア兵との交換で引き渡されたアゾフスタリ製鉄所からの遺体を選別する任務を手伝っている。それでもまだ兄は見つからない。

 自作の楽曲を収集する作業にも取り組んでいる。東部に拠点を構える部隊へ爆薬を輸送する任務の間に作ったものが大半だ。キーウへ最初の攻撃を仕掛けたロシア軍が押し戻され、それ以降この地域での戦闘は激化している。

 曲のテーマはおもに、前線での生活や兵士同士の友愛、戦時下の市民生活、憎悪やウクライナの自由のために闘うことである。オトイは「このミニアルバムには戦争による土埃の匂いが漂っている」と話す。

 オトイは「実際に、私は空爆や砲撃にさらされる地面の上に横たわっていました。爆弾や遺体、土埃や血液など、いろいろな匂いを本当に感じることができると思います。憎しみを示すにはこれがベストな方法だと思うのです」と語る。

By JOHN LEICESTER Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP