平和的なデモ隊に発砲 ナイジェリアの国家暴力を軽視してはいけない理由

ラゴスでプロテストに参加する人々(10月20日)|Sunday Alamba / AP Photo

◆アディチェ、アデグベイェの訴えとは
 約2週間の#ENDSARSの抗議行動が、新たな暴力と恐怖の結末を迎えたのが10月20日に発生した軍と警察による、平和的なプロテスト活動に参加していた人々に対する発砲という事件だ。報道によると少なくとも12名以上の死者と、多くのけが人が出たとされているが、正確な数字は不明。事件が起こったラゴスのロイター通信支局長、アレクシス・アクワギラム(Alexis Akwagyiram)によると、当日午後4時から外出禁止令が出されていたが、プロテスト集団は4時以降もラゴスのレッキ地区(投資開発が進む富裕層地域)の道路料金所付近に集結し、抗議行動を継続。午後6時、突然、街の明かりが消されて人々がパニックになった。そしてその後、暗闇の中襲撃が開始されたという。アデグベイェなどの報告では、当日の午後3-4時ごろに、料金所付近のCCTV(監視カメラ)が撤去されていたとある。

「ナイジェリアは国民を襲った。平和的な活動をしていた国民を襲撃するという唯一の目的は、恐怖を与え威嚇すること、つまり一部を殺害することでほかの人々を引き下がらせること。とてつもなく大きく、許され難き犯罪だ」アディチェは、ニューヨーク・タイムズ紙によせた記事の中で、このように表現し、ムハンマド・ブハリ大統領の無責任なリーダーシップを厳しく批判した。ブハリ大統領は22日、ENDSARSの状況に関して国民に対しての声明を発表したが、20日の事件には直接触れることはなく、犠牲になった国民に寄り添うものではなかった。同時に、抗議活動の拡大に便乗し、ENDSARSとは直接関係ない怒りを爆発させたギャング集団らが起こした破壊行為や犯罪行為に言及し、批判するような姿勢は、責任の矛先を国民に転嫁しているようにも捉えられる。この声明に対し、アディチェはナイジェリアのザ・ガーディアン上で「ブハリ大統領ができたはずの声明文」と題した原稿を発表。彼女が考える責任あるリーダーシップの本来あるべき言動を示した。

 アデグベイェは、コレスポンデントの記事で、悲しみとやるせなさを露わにした。希望的観測や建設的な議論すらもはや難しい状況であることがうかがえる。若者や女性が牽引してきたプロテスト活動。安全を考え路上での活動は控えられているものの、活動家たちはオンラインを中心に活動を続けているようだ。

 民族間の対立やイスラム過激派に関連した紛争や暴力での話題に偏りがちなナイジェリア関連のニュース報道。ナイジェリアやラゴスに詳しくない人々にとっては、そもそも「危険地域」として認識されている可能性も否定できないが、プロテストに便乗した破壊行為や軍などによる殺人行為は、「日常」ではない。ナイジェリアはテクノロジー・スタートアップやエンターテインメント業界が盛り上がる、非常にエキサイティングでクリエイティブな側面もある。ラゴスが日常的に、全体的に、治安の悪い場所であるという誤認識を持ってはならない。

 だからこそ、この国が国民を殺害するという卑劣な「異常事態」に対し、強い批判と悲しみを表明するナイジェリア人たちの声に、いまこそ耳を傾ける必要がある。

Text by MAKI NAKATA