ナイキでの#MeToo告発、「法律上の」ハラスメントがどのように違法な差別につながるのかを浮き彫りに

著:Elizabeth C. Tippettオレゴン大学、Associate Professor, School of Law)

 ナイキ社内でわき起こった#MeToo告発は、職場におけるセクシャル・ハラスメントに関して我々がまだ議論をし尽くしていないことをはっきりと示している。

 現状にうんざりしていたナイキの女性社員たちは最近、社内で内密の調査に着手し、セクシャル・ハラスメントや性差別に遭ったことがあるかどうかを質問した。この調査結果は最終的に世界最大のスポーツブランドであるナイキのCEOに提出された。そして6人の経営幹部が辞職、もしくは、辞職を表明した。

                                                                                                                 

 ニューヨークタイムズ誌のインタビューを受けたナイキの女性社員たちは、無視されたり、昇進候補から外されたりした経験を詳しく説明した。ある女性社員は、自分のことを「愚かなあばずれ女」と呼んだ上司について詳細に述べた。また別の女性社員は、自分の胸についてのコメントが記載されたマネージャーからのメールを報告した。鞄の中にコンドームを常備していることを誇らしげに話したり、肌を露わにした女性が表紙の雑誌を机の上に置いたりしているマネージャーの存在も明らかになった。さらに、社員旅行の最後のお楽しみとして、ストリップクラブへのツアーが追加されていた例も少なからずあった。

 これは何年にもわたり発生していたことであり、その間人事は何の手も打とうとしなかった。マネージャーは我関せずと自分の仕事だけをやり、不平不満は鬱積していった。

 いろいろな意味で、これは企業が長期にわたりハラスメントに対してどのように見て見ぬふりをしてきたのかに関するありふれた話である。しかしおそらくナイキの一件は、ハラスメントがどのように職場における差別の兆候や前触れとなりうるかを、#MeToo運動の他のどの事例よりも雄弁に物語っている。

 そして、私がミネソタ・ロー・レビュー(Minnesota Law Review)に寄稿し、まもなく掲載される記事の中で述べたように、過去の過ちを改めようとする企業にとってハラスメントと差別のつながりを理解することは非常に重要なことである。

◆イージーケースvs.ハードケース
 #MeToo運動は、性的嫌がらせや暴行の問題に対し、適切に人々の注目を集めることに成功した。結果として浮き彫りになったそれぞれの事例について、法科大学院では「イージーケース」と「ハードケース」の2種類のタイプに分けられる。

 法科大学院の学生たちが最初に習うことの1つが、事実が極端なほどわかりやすいため、規則が適用されるか否かが明白な事例を指す「イージーケース」である。ここでは、マット・ラウアー氏の部下に対するわいせつな攻撃的行為に対する申し立てのような甚だしいセクシャル・ハラスメントの事例を挙げることになる。

 「ハードケース」は、当事者が規則に違反したかどうかを判断するのがより困難な状況を指す。イージーケースにせよハードケースにせよ議論の余地はあるだろうし、法廷がどのように裁定を下すのかを予見するのは困難なこともあろう。または、司法試験に好んで出題されそうな引っ掛け問題のように、当該行為は常識的に考えると非常に悪いことのように思えるのに、実は法的な規則の要求事項を満たしていない場合も存在する。

 ナイキ社内で起こった数々の事案はいずれもハードケースである。それらは職場におけるハラスメントの法的な基準を明確に満たしているわけではない。

◆正確にはハラスメントではないことに潜む問題
 職場におけるハラスメントに関する法律は、甚だ厳格である。他人を不快にさせる行動は、虐待的な職場環境を生み出すくらいに深刻で、かつ、執拗に繰り返されるものでなければならない。そして、そのような不快な行動は、被害者の性別や人種など、法で守られるべき範疇の属性が契機となって生み出されているものでなければならない。

 法廷におけるこの基準の適用はあまりにも厳格すぎる、ハラスメントについての常識的な理解に寄せて判断が下されるべきだと主張する者も法学者の中にはいる。
 
 弁護士と人事の専門家たちは、長い間ハラスメントを認定する法的基準レベルが信じられないほど高いことを認識している。したがって、企業は服務規則の中でハラスメントを非常に広範囲に定義することによって対処している。こうして企業は規則を破った従業員を罰する権限を得た(ただし、懲罰は必ずしも企業の義務ではない)。しかし、#MeToo運動が始まる前は、たとえ企業が規則違反の従業員を罰する権限を有する場合でも、積極的にはそのような行動に出ようとしない傾向がみられていた。

 すでに今我々が認識しているように、ただ何もしないで傍観する精神は道徳的に、そして、企業の広報的な見地からみてもひどく愚かな判断だ。企業は、従業員の申し立てが法的には必ずしもハラスメントに相当しないと判断した場合でも、将来的に発生しうる差別に対する申し立てへの潜在的責任を完全に見落としていた、ということになる。

 その理由はこうだ。従業員の性別、人種、もしくは宗教に関して、上司の言い放った人格を傷つけるようなコメントは、直接的にはハラスメントを申し立てるべき相応の理由にはならないかもしれない。しかし、後になって差別的な扱いを受けたという申し立てがあった場合に、そのようなコメントは動かぬ証拠となるからだ。

◆差別の盲点
 差別を受けたとする申し立ては、すべてが部下の昇進、昇給、または解雇に関して上司が抱く考え方に関することである。しかし、我々は人の心の中を読み出すことはできないから、上司のコメントや行動に基づいて判断を下さなければならない。

 もし上司が女性の身体を性的な対象として見ているコメントを述べ、後日、彼女の昇進を取り消すような場合、上司の判断が偏見に基づいていたことを示すために、後日そのコメントを引き合いに出すことになるだろう。

 ナイキの事案はこの原則を極めて鮮やかに描き出している。女性たちを主にコンドームの使用対象としてしか見ていないマネージャーは、おそらくその女性たちを有力な副社長候補であるとは考えないであろう。従業員たちが一斉に不満の声を上げた時、ナイキの人事部門がこの件を差別問題として特定できなかったように見えるが、それは驚くべきことではなかった。

 その時点でまだ差別は生じていなかった。女性たちが鬱積した不満の声を上げた時点では、おそらくはまだ昇進の機会を失ったり、報酬や雇用の継続について不公平な扱いを受けたりしていたわけではなかったのだ。それは、「ただ単に」上司が言い放ったコメントに過ぎなかった。

 言うまでもないが、当の女性従業員にとっては、これは決して単なるコメントで済まされるものではない。彼女にとっては、自分の職歴が生かされるも殺されるも上司の掌中に握られていることを痛感していたであろう。彼女はもはやその上司を全く信頼していなかったのだ。

 アメリカで働く女性にとって、これは必ずしも珍しいことではない。ある事例調査では、働く女性の25~40%が職場で自らが望まない性的行動を経験したことがあると回答し、60%は性別に関わる敵対的な行為やコメントに直面したことがあると語った。

 それはまるで従業員が銃口を自らに向けられているのを知った上で、ただ単に銃弾が飛んでくることを待っているだけのようなものだ。しかし、人事部門は、ハラスメントを告発する細い声に対しては介入の必要なし、と考えているのである。

◆もっと優れた施策
 #MeToo運動はハラスメントに対する規則の「ゼロ容認」に関する議論を生み出した。ここにはたとえ軽微な規則違反を犯した場合でも、重い罰則が適用されるのではないかという暗黙の脅威が含まれていると言える。

 しかし、ハラスメントに対する規則はすでに徹底的に論じ尽くされているため、実際のところ有意義な行動の規範をもたらすわけではない。3月にピュー研究所が発表した調査結果では、調査の対象となった全成人の半数が#MeToo運動によって「男性が職場でどのように女性と接すれば良いか」を理解することがより困難になった、と考えている。

 より持続可能なアプローチは、企業の法的リスクと合致する差別防止規程をさらに増強することだと私は考える。

 それらの規定には、上司は部下の経歴について信頼のおける特別な位置に置かれており、雇用主の義務である平等な雇用機会の提供を実現する上で企業の代理人として行動すべきであることを明記するのが望ましい。

 上司が軽度の不快な行動を起こし、従業員の性別、人種、もしくは宗教に関して侮蔑的な発言を行った場合、それは信頼を裏切る行為となる。そして、そのような上司の背信行為を正すことは企業の義務である。

This article was originally published on The Conversation Read the original article.
Translated by ka28310 via Conyac

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Text by The Conversation

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