なぜダイアナ妃は今も人々の心の中にいるのか? 溢れる愛情、揺るがない信念

neftali / shutterstock.com

 英国のダイアナ元皇太子妃が亡くなってから今年で20年だ。この節目に、世界ではさまざまな秘蔵ビデオや秘話が公開され、20年経った今でも世界中で愛されていることがうかがえる。その秘密は何だろうか。

◆現代のおとぎ話
 ダイアナ妃は、1997年8月31日未明にフランス、パリの地下道で事故死した。パリには、当時恋人とされたドディ・アルファイド氏と訪れていた。2人の写真を撮ろうと先を競って追いかけてきたパパラッチを振り切ろうと、ダイアナ妃たちを乗せたベンツはスピードを上げ、トンネルの柱に激突したのだった。

 ダイアナ妃の人生は、チャールズ皇太子との結婚を機に、常に英国中の視線を集めるようになった。1981年7月にロンドンのセント・ポール大聖堂で行われた結婚式は世界中にテレビ中継され、7憶5000万人とも10憶人ともいわれる人が見たとされている。32歳まで独身でさまざまな女性と浮名を流し、「世界で最も結婚相手として理想的な独身男性」と言われていたチャールズ皇太子と、20歳の美しいダイアナ妃の豪華な式は、「おとぎ話の結婚式」と呼ばれた。AP通信はダイアナ妃没後20年を記念して今年8月、式の映像を4Kに復元してユーチューブで公開している。

 ダイアナ妃が愛される理由の1つに、王室に新たな風をもたらした、という点があるだろう。ダイアナ妃は、これまで英国王室がしてこなかった数々のことを行い、それまでは庶民とはかけ離れたイメージだった王室を、もっと親近感を覚えるような存在にした。

 例えば、ウィリアムとハリーという2人の王子の子育てがある。今でこそ、ウィリアム王子とキャサリン妃は自分たちで子育てをしており当たり前になっているが、かつて英国王室では、王子や王妃は乳母に育てられるのが伝統だった。しかしダイアナ妃は、自らの手で育てることを決め、乳母任せにはしなかった。また、ウィリアム王子は英国王位継承者として初めて、宮殿の外(病院)で生まれており、また母乳で育てられたのも英国王室としては初めてとする声もある(ABCニュース)。

◆エイズへの偏見払拭に一役
 そしてダイアナ妃が愛されるもう1つの理由は、同妃のチャリティ活動にある。英国王室のメンバーは、さまざまな慈善活動にパトロンとして名を連ねるものなのだが、ダイアナ妃の活動は、そのような単なる慈善活動とは一線を画していた。

 例えば1987年、ダイアナ妃はロンドンのミドルセックス病院にできたHIV感染者やエイズ患者のための病棟で、HIV患者の男性と手袋をせずに握手した。当時HIVは不治の病であり未知の病でもあったため、さまざまな差別や偏見があり、触れただけで感染するなどといった間違った考えが広まっていた。しかしダイアナ妃のこうした写真が世界中に配信されたことで、HIV感染者やエイズ患者に触れても大丈夫だという強烈なメッセージが伝えられた(BBC)。

 ダイアナ妃は生涯を通じて、弱い立場にいる人たちを精力的に訪問して励ましたが、こうした人たちと触れ合うダイアナ妃の目には、恐れや警戒ではなく常に相手への愛情に溢れているのが、写真からも見て取れる。

◆命がけの慈善活動
 1997年には、地雷禁止に向けた活動の一環として、ダイアナ妃は内戦で荒れ果てたアンゴラを訪れた。そこは、まだ地雷が撤去されておらず、いつ爆発が起こってもおかしくない地域だったのだが、同妃は保護服を着て、その地帯を歩いた。単なるおとぎ話のお姫様なら、絶対にしないことだった。
 
 地雷の中を歩いたのは、人道的な理由から使用禁止を訴えていたためだ。当時英国軍はまだ地雷を保有しており、ダイアナ妃の行動を批判する向きもあった。しかし1998年、すでに亡くなっていたダイアナ妃の遺志を継ぎ、英国は対人地雷禁止条約(オタワ条約)を批准。条約は1999年に発効し、現時点で参加国162ヶ国での対人地雷の使用が禁止となっている(なお、中国、ロシア、米国はこの条約に参加していない)。

 ダイアナ妃とチャールズ皇太子は、1995年に別居、1996年に離婚した。王室を離れても、死の瞬間まで、世間の目がダイアナ妃から離れることはなかった。美しいその容姿や、チャールズ皇太子への切ない恋、そして嫁いだ先での苦難といったストーリーがいかにも「現代のおとぎ話」風で、人々の関心を掻き立てる。しかしダイアナ妃が死後20年経った今でも愛される理由はそれだけではなく、その芯の強さや影響力、人への愛情に秘密があるのだろう。

Text by 松丸さとみ