実在した黒人侍「弥助」奴隷から信長の家来になった数奇な人生 海外で映画化も

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 戦国の世、天下統一に挑んだ織田信長。彼が信頼を置いた数少ない側近のなかに、アフリカ出身の黒人武士・弥助の姿があった。はじめは物珍しさから興味を持った信長だが、実際に面会すると、その知的な人柄と武術に向いた体格に惹かれる。城内に居所を与え武士に登用したほか、非業の最期を遂げた本能寺では、ある重要な最後の任務を弥助に託した。

◆ひと目見ようと、京は大騒ぎ
 弥助の出自については詳細な記録がないものの、アフリカ南部・現在のモザンビーク、または北東部のコートジボワール出身とする説が有力だ。少年時代におそらくは奴隷として、アラブ周辺およびインドに移された。インドでは少年兵として使役し、後にイエズス会の宣教師に師事している。その後1579年、宣教団の護衛役として日本に渡ることになる。

 二十代半ばにしてその身長は182センチほど、肌の色は墨のようだったとの記録が残っており、当時の日本人にすればたいへん物珍しく感じられたことだろう。京都に到着すると、その姿をひと目見ようと人だかりができ、圧死してしまう人が出るほどの騒ぎだったという。

 話題は当然、天下統一に向けて駒を進めていた織田信長の耳に入ることになる。いまでは考えられないことだが、信長は弥助の肌が墨で着色したものだと考え、こすり落とそうとしたという。しかし本来の肌の色だとわかるとすぐに尊敬の念を込め、宴会を開いて彼を歓迎している。数日のうちに信長は宣教団から弥助の身をもらい受けるよう交渉し、まずは道具持ちの座に就かせた。不意の襲撃が絶えなかった当時、体格がよく武術の訓練を積んでいた弥助をボディーガードにしたいという考えがあったようだ。

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Text by 青葉やまと