雪男が燃えない…スイス伝統の春祭り、史上初の珍事 夏占う「セクセロイテン」

© Zürich Tourismus

 近年世間の風当たりの強いスイス・チューリヒ春祭り「セクセロイテン」。今年は本物の強風のため冬の象徴が燃やせなかった。巷に燻る批判を通して現代の姿勢を読み解いてみたい。

◆スイスの夏を占う春祭り「セクセロイテン」
 チューリヒ市最大の祭り「セクセロイテン」では、その名の通り、「6回(鐘が)鳴る」6時に冬を表す雪だるまを燃やし始め、頭部に仕掛けてある大規模な爆竹に引火するまでの所要時間で夏の天候を占うのだが、今年は史上初めて点火できないという事態に陥った。

 去年は頭部が弾け飛ぶまでに史上最長の57分を要したがしっかりと暑い夏が来たので、外れることも多い。しかし、今年は祭りの3日後、そして6日後に続けて雪が降ったりすると、「やっぱり冷夏になるのでは?」と不安がよぎる。

◆セクセロイテンの歴史と形態
 その昔、スイスでは春分の日に、子供たちがわら人形を燃やして冬の終わりを祝う風習があった。それが段々大きな行事となり、わらを詰めた雪だるまを燃やすチューリヒ最大の祭り「セクセロイテン」となったのが1892年のことだった。

 そこで重要な役割を果たすのが「ツンフト」という職人組合(ギルド)である。古いものでは14世紀に遡る26のツンフトが、各々の職業を表す民族衣装で中心街を練り歩き、チューリヒ歌劇場前の「セクセロイテン広場」に設置された「ベーグ(Böögg:雪だるま風だが足はある)」にたどり着くと、その周りを各ツンフトの騎馬隊が駆け回る。そして夏の終業時間である午後6時の鐘が鳴ると、土台のわらの山に火が放たれるのだ。その火がベーグに燃え移り、頭部の爆竹が鳴ると冬が完全に追い払われ、その瞬間から皆で春の到来を祝うのである。

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 通常4月の第3月曜日に行われ、今年は15日となった。前日の日曜日には子供だけのパレードが催され、ここでは国ごとのグループでも参加できる。チューリッヒ日本人会と日本人学校が招集する「日本チーム」も、毎年半被を着て練り歩き、日本をアピールしている。

チューリッヒ日本人学校提供

 当日の月曜日は完全にツンフトの独壇場だ。「セクセロイテンマーチ」という行進曲などを演奏する楽団とともに、ツンフトの行進が始まる。パレード内で一緒に行進している女性はいるが、ツンフトは男性社会だ。ツンフト構成員の伴侶や家族の女性たちは観覧席の上席を早くから買い占め、沢山の花束が入った大きな籠などを持って座っている。そして知り合いが行進してくると、走り寄って花束を差し出し、挨拶のために3回頬を触れ合ったりするという社交が行われるのだ。

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 立ち見ならば誰でも無料で参加でき、行列側から飴やソーセージ、フルーツなどが観客席に向かって投げられたり、ワインや花をもらえたりする観客もいるので、「皆の祭り」という感覚はある。しかし、ツンフトには「地元の名士」というイメージがあり、見物人との間に隔たりがある感じは否めず、「エリートのカーニバル」と皮肉られることもある。

◆時代の荒波に揉まれる祭り
 14世紀に「当然」だったものが、長い年月を経ると「差別」になってしまったりもする。そんな今、この祭りに対する風当たりはどんどん強くなっている。

 第1の理由は先にも述べた「地元エリート」の閉鎖性だ。ツンフト構成員2人の紹介があれば新規入会も可能だと聞くが、基本的にはチューリヒのツンフトの子息たちに代々受け継がれ、外国人は稀だ。その「特権意識」を嫌って脱会を望む新世代も少なくない。

 第2の理由は男女差別だ。男性しか構成員になれない規則を緩めたツンフトも昨年ようやく現れ、今年は2つ目のツンフトも歩みを合わせた(2月7日付ノイエ・ツルヒャー紙)。しかし、まだまだ男性と同じ権利を得るまでには時間がかかりそうだ。

 第3の理由は人種差別的仮装だ。「黒人」や「アラブ人」が登場する歴史を持つツンフトは、濃い肌色にメイクするのだが、それが人種差別の歴史を肯定するものとして批判されている(2023年4月21日付スイス国営放送)。

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 そんな流れのなかで、史上初めて燃やされなかったベーグは、今年初めてゲスト州となったアッペンツェル・アウサーローデン準州に運ばれ、夏が来る前に燃やされる事が決まった(4月16日付ブリック誌)。チューリヒ観光局によると、6月22日という日程も決定したという。アッペンツェル・アウサーローデン準州は女性が参政権を獲得したのが1990年という驚きの場所であり、不思議な偶然だ。男性社会であるツンフト祭りの象徴的ベーグが、いまだに男性優位が残ると言われるアッペンツェルに逃げていくようで、皮肉な今年のセクセロイテンとなったのだった。

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在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生