プーチン氏の手に渡らなかったラフマニノフ邸、生誕150周年に一般公開

セナール邸|@Yannick Roeoesli

 ラフマニノフ生誕150年に際し、彼が愛したスイス・ルツェルン郊外のセナール邸の一般公開が始まった。ラフマニノフは今の状況を空の上からどんな思いで見下ろしているだろうか。

◆ラフマニノフとセナール邸
 セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)はロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者であるが、生誕150周年となる今年、避暑のためにルツェルン近郊に建てられたセナール邸(Villa Senar)がルツェルン州により買い取られ、ラフマニノフの誕生日直前の3月30日より一般公開される運びとなった。それに伴い、8月10日よりハンス・エルニ美術館で『ルツェルンのラフマニノフ』展が開催されている。

ルツェルン交通博物館内ハンス・エルニ美術館で開催中の『ルツェルンのラフマニノフ』展

 作曲家としての挫折も乗り越え、ピアニストとしても名をはせ、ボリショイ劇場の指揮者としても活躍していたラフマニノフだが、第一次世界大戦勃発により、1917年、ストックホルムへの演奏旅行を機に亡命した。「国を裏切った者」というレッテルを貼られた愛国者のラフマニノフはその後、西側でも苦労して成功を収め、パワースポットという言い伝えもあるピラトゥス山に見守られる湖畔の岬に避暑のためのセナール邸を建設した。

セナール邸から見えるピラトゥス山の眺め

 セルゲイの「se」と、妻ナターリヤの「na」、ラフマニノフの「r」から名付けたこの屋敷は、家族愛に満たされなかった幼少期を送ったラフマニノフがようやく手に入れた「幸福とインスピレーションの館」であった。

 しかし、第二次世界大戦前夜の1939年、その屋敷からも旅立つことを決意して渡米し、二度とこの家に戻ることはなかった。

Text by 中 東生