「核の棺」から放射性物質流出の危機 米の核実験の遺物 国連総長憂慮

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 国連のグテレス事務総長は、気候変動の問題に対する意識を高めるため、南太平洋を訪問した。フィジーで行ったスピーチのなかで、マーシャル諸島のエニウェトク環礁に冷戦時代の核のゴミが埋められていることに言及し、温暖化による影響で、汚染物質が太平洋に流れ出すことへの懸念を示した。

◆冷戦時代の遺物 汚染物質を穴に封じ込め
 南太平洋での核実験と言えばビキニ環礁が有名だが、その300キロ西にあるエニウェトクでは、ビキニの倍の43回の核実験が1946年から1958年の間に行われた。両環礁とも、1000を超える島々からなるマーシャル諸島共和国に属し、当時はアメリカの信託統治領だった。エニウェトクはそのもっとも西にあり、ラグーンを囲む40ほどの島々で構成されている。核実験のために、住民は退去させられた。

 核実験後にエニウェトクで起こったことは、コロンビア大学法科大学院サビン気候変動法センターのディレクター、マイケル・B・ジェラード氏が2014年にニューヨーク・タイムズ紙(NYT)に寄稿した記事のなかで詳しく説明している。

 1970年代に入り、アメリカはマーシャル諸島を独立させることを考え、核実験で出た汚染物質の処理を考えていたという。ビキニの放射能汚染は深刻で、住民の帰還は絶望的だった。しかしエニウェトクの場合は、年月の経過を待てば住民の帰還は可能とされた。ただ、半減期が2万4110年というプルトニウム239も残されていたのが問題だった。そこで米政府は1970年代後半に、プルトニウムで汚染された土壌をエニウェトクのルニット島にある核実験でできたクレーターの中に運び込んだ。45センチの厚さのコンクリートで蓋をしており、ルニット・ドームと呼ばれている。

 1980年に作業は完了し、エニウェトクの一部の住民の帰還が許可された。しかし、環礁の半分はいまだに人も住めず、作物の栽培もほとんどできない。食文化も変わり、缶入りスパムミートが常食となってしまったという。

Text by 山川 真智子