「女性リーダー」は賞賛されるべきなのか いま求められるリーダーとは
◆「女性リーダー」賞賛のジレンマ
リーダーシップの本質ではないものの、「女性リーダー」が注目されてしまう背景には、政界においても経済界においても、多くの組織環境において、残念ながらジェンダーの多様化が十分でない現状が反映されている。実際、たまたま女性首相が在任中である、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドなどの北欧諸国、そしてドイツやニュージーランドは、世界経済フォーラムが公開した「Global Gender Gap Report 2020」の政治分野におけるランキングにおいて、20位以上に位置している。ちなみに、同ランキングにて、米国は86位、日本は144位という結果だ。
前出の英ジャーナリスト、ルイスは、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべきといったようなジェンダーは、原理主義者的な見方であり、過去、女性を後ろに追いやるために作られたものだ」と主張する。男性・女性の古い見方を続けることは、多様なジェンダーを阻害することにも繋がるだろう。
また、米Voxの記者、アナ・ノースは、女性リーダーを賞賛することで生まれる別のリスクも指摘する。リーダーシップや成果が、「女性」という切り口によって評価されることは、罠のようなもので、そもそも男性よりも高いハードルが課せられ、失敗が許されないような状況に置かれてしまうというものだ。
いま、全世界が同時に共通課題に挑むなか、「女性リーダー」かどうかは問わずして、人々は自国だけでなく各国のリーダーたちに注目している。どの社会も多様化が進む時代、さまざまな価値観や考えを持つ国民との対話力に優れた人物こそが、民主主義社会においては、その手腕を発揮するはずだ。そのような対話能力があるのは、おそらくジェンダー・人種といった区別によって、構造的な抑圧を経験している人物であろう。結果、「マイノリティ」がもっとリーダーになっていく。そんな社会を期待したい。