バスケを通じて子供のメンタルヘルス改善 講習会設立者が語る思いとは

Klinic Kids創設者のキャシュ・ハミードさん(左)|(c) Klinic Kids

 「メンタルヘルス」「ウェルネス」という言葉は、今ではライフスタイルを語るうえで目にしないことがない。うつ病や不安、精神的な不調が、人生や社会全般に与える影響の大きさを目の当たりにし、世界規模でさまざまな対策や対応が叫ばれている。そんななか、アメリカで「バスケットボール」を通じて子供たちのメンタルヘルスの不調を改善しようというプログラムが広まっている。

◆人生に大きな影響を及ぼすたった1回の経験
 「スポーツは一つの道具。私たちのプログラムを通して、生きるために本当に必要なスキルを身につけさせ、子供たちに対処のメカニズムや人生に役立つ手法を提示している」と語るのは、ニューヨーク州を中心に、ユース世代に向けたバスケットボール講習会を開催するKlinic Kids(クリニック・キッズ)の創設者、キャッシュ・ハミードさんだ。Klinic Kidsを取り上げたニューヨーク州の地元テレビ「NEWS12」によると、同組織の94%の参加者が講習のおかげで学業成績が向上し、学校や社会において自信がついたと答えている。

 Klinic Kidsは、バスケットボールの基礎的なスキルトレーニングに加え、呼吸法や瞑想、現状把握や気持ちをポジティブに保つために利用する「チェックイン」「チェックアウト」を導入するなど、メンタルヘルストレーニングを兼ね備えたプログラムを提供する。さらにNPOの同組織は州や学校、地域からの助成金を利用し、現在7歳から高校生までの子供たちに無料でプログラム提供をしているから驚きだ。

 毎週開講しているプログラムもいくつかあるものの、週末や休日を利用した1回単位で申し込みできるプログラムも提供しているのも特徴だ。定期的なプログラムでなくても、彼らが考える「メンタルヘルストレーニング」の効果は得られるのだろうか。

 取材に応じたハミードさんによると、「たった1回の悪いことが人生にトラウマを残すように、1回の素晴らしい経験が人生を180度変えてくれることもある。ワークショップを経験したことがきっかけとなり、生き方への考えを変えることができた子供たちがたくさんいる」と話す。

 自動車事故で両親を亡くした少女が里親に連れられて嫌々参加したが、家族やチームの一員として気持ちを共有する大切さをコーチたちから指導された結果、自分の思いを言語化できるようになったという。ほかにも、自閉症の子供や、感覚過敏の子供が、バスケットを通して実生活で役立つコミュニケーション力を得ている様子に、保護者から大きな支持が集まる。

呼吸法を学んでいる子供たち|(c) Klinic Kids

◆問題児だった自分を救ってくれたコーチとの出会い
 このNPO創設には、ハミードさん自身を救った1人のバスケコーチとの経験が反映されているという。「私は中学生から親でさえ諦めてしまうほどの問題児だった。自分でもどうしていいか分からず困っていた。そんな時カトリックの高校でバスケのコーチをしていたハーブ・クロスマンさんと出会った。彼は私より1歳半年下で、背が高かった弟をチームにリクルートするため私たち家族に声をかけてくれた。その際、兄弟がいると知った彼は、兄である私も一緒に進学できるよう取り計らってくれた。重要だったのは、弟だけでなく私のためにも色々な点で惜しみなく(時間や人脈を)『投資』してくれたことだった」と話す。

 クロスマンコーチは、ハミードさんの人生に多くの良い影響を及ぼす社会的なリーダーたちを紹介したり、機会を創出してくれたのだという。さらにバスケットボールにも真剣に取り組むようになったハミードさんはすぐに上達し、気がつけば海岸遠征をするような強豪バスケチームに参加できるほどになったという。「人生で初めて飛行機に乗ったのは、フランスへバスケの試合に行くためだった」と話すハミードさん。以来勉学にも精を出し、大学時代はバスケットボールのスタープレーヤーとして活躍。大学から名誉ある「Hall of Fame」を授与されるほど人生は好転していく。そして卒業後はプロのバスケットボールプレーヤーとしてヨーロッパへ渡った。

 「バスケットボール選手としての人生は決して長くはなかった」と話すハミードさん。その理由は「まるで天啓を受けたように、教育の道に進みたいと思ってしまった」と話す。大学院に戻って教育学を学び直し、地元ニューヨークのハーレムで校長まで務めた彼の志の基礎には「自分が受けた恩恵を、恵まれていない自分が育ったコミュニティに還元したい」という強い思いがあるという。

◆全肯定してくれるコーチの存在
 「Klinic Kidsでは、参加した子供たちが『すべての中心』であるかのような感覚を味わえることを重視している」と話すハミードさん。自身が高校時代の恩師との関係により、自信を持ってスポーツや勉学に取り組めるようになったように、普段自分の感情を言葉にしてこなかった、特に不遇な子供たちに、こうした感覚を味わってもらうことが自信構築につながっていると話す。

コーチと一緒にワークシートを利用して感情を確認する参加者|(c) Klinic Kids

 さらに、自分自身が気持ちの面でどのように感じているかを明確化、明文化するプロセスも欠かさない。チェックイン、チェックアウトはその一例だ。その日活躍した子供を名指しで褒める「Shout-out(シャウトアウト)」といったバスケットボールキャンプ特有の賞賛を導入したり、圧倒されたとき、不安になったときにどのように対処したらいいかという話をしたりする。トレーニングの合間の休息は、体を休めるための時間だけでなく、「ウェルネス・タイムアウト」の時間も取るという。瞑想やマインドフルネスの時間など、いくつかのテクニックを取り入れてプログラムは進んでいく。

 指導しているコーチたちは、プロや大学リーグでバスケットボールを経験し、高い技術を持った人たちばかりだ。彼らがメンタルヘルスの専門家のもとで学び、さらにメンタリングを受けながら、精神面の指導に当たっているという。こうした輝かしいコーチたちが、自分たちの苦労話や問題について包み隠さず共有する姿勢も、子供たちにとって良い影響を及ぼしているとハミードさんは話す。

メンタルヘルス専門家の指導を受けているKlinic Kidsのコーチたち|(c) Klinic Kids

◆近い将来は海外でもプログラムを展開
 Klinic Kidsは現在、ニューヨーク州郊外にあるシラキュース市と3年の契約で8つの小中学校と、5つの高校で指導に当たっている。「バスケットボールは一つのきっかけに過ぎない。今後はスポーツとメンタルヘルスやウェルビーイングをつなぐプログラムをさらに構築していきたい」と話すハミードさん。プログラムを安定して供給できるように、地元の指導者の育成にも力を入れているという。海外進出も検討しているというKlinic Kids。さらなる展開に期待したい。

(c) Klinic Kids

在外ジャーナリスト協会会員 寺町幸枝取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 寺町 幸枝