フランスで男でも女でもない代名詞「iel」登場 個人主義の行きつく先は?

defotoberg / Shutterstock.com

 フランス語辞典で知られる出版会社ロベールは10月、同社のオンライン辞書に男性でも女性でもない三人称代名詞「iel」を追加した。この決定の妥当性について、同国では言語学者や政治家を巻き込んだ論争が起きている。多くは性差別問題と絡めて語られるが、実はその奥には個人主義時代のアイデンティティ問題が潜んでいる。

◆ラテン語の文法的性とiel
 フランス語では、イタリア語やスペイン語、ポルトガル語といったほかのラテン系言語同様、名詞は基本的に男性名詞か女性名詞に分類される。人称代名詞についても同様で、男性名詞は「il(s)(イル)」、女性名詞は「elle(s)(エル)」で言いかえ、複数であれば語末にsをつける。「iel(s)(イエル)」は、このilとelleを合成したもので、「男性女性に関係なく人物を指すために用いられる単数あるいは複数の三人称代名詞」だと、ロベールのオンライン辞書は定義している。

◆専門家から政治家まで巻き込んだ論争に
 とはいえ、筆者自身や身の回りのフランス人にはielを使用する人はおらず、いまのところあくまで一部での使用にとどまっている。そういう一般的とは言い難い単語を辞書に掲載したロベールの革新的判断について、賛否両論が飛び交った。たとえば、与党「共和国前進」ジョリヴェ議員は、これは「間違いなくウォーキズム出現の前兆だ」(フィガロ紙、11/18)と批判し、「フランス語の番人」と称されるアカデミー・フランセーズに公開書簡を送って介入を求めた。同じくブランケ教育大臣や、大統領夫人でありフランス語教師でもあるブリジット・マクロンも批判の意を示した(同)。

 一方、男女平等問題を担当するモレノ大臣は、ielの使用に問題があるとは思えないとコメント(フィガロ・ライブ、11/17)。これらの論議を受け、ロベール社のバンブネ代表は11月17日、ielの使用頻度は少ないが、過去数ヶ月で急増していることから掲載を妥当と判断したと発表。「ロベールの使命は、変化する多様なフランス語の進化を観察し、それをレポートすること。世間で話される言葉を定義し、よりよい理解を助けること」だと結び、その立場を明らかにした。

Text by 冠ゆき