アフリカ報道における危険な「シングルストーリー」

ウィリアム・ケントリッジ作品。南アフリカ・ケープタウン、ノーヴァル財団にて|Maki Nakata

◆批判されたNHK報道にみるニュースの限界
 4月30日、NHK BS1で国際報道2020という番組が放送され、そのなかで南アフリカの状況が、ヨハネスブルグ支局長、別府正一郎による取材内容やスタジオとの中継コメントとともに伝えられた。41分間の番組内、「南アフリカ・学校まで略奪~新型コロナで社会崩壊寸前」と題された南アのニュースは、ユーロ圏のGDPマイナス成長、米国の経済再開判断のジレンマ、ベトナムでの助け合いというほか3本とともに、世界各国でのコロナ危機の影響を伝える当日の主要ニュースの1本であった。

 この報道内容に対し、南アフリカ在住の日本語コミュニティの方々が抗議の声を上げた。ダーバン在住で通訳・翻訳などを専門とする吉村峰子は、NHKに対する抗議文を自身のブログ上に5月3日付けで掲載。抗議文の冒頭、「実際に南アフリカに暮らす私を含む多くの人間が、彼(ヨハネスブルグ支局長)の報告、および東京のスタジオにいるコメンテーターたちの発言には事実誤認、途上国への蔑視、差別があまりにも露骨であると認識している」との意見を述べた。

 5月6日には「新型コロナ:南アフリカの皆さんの報告&報道問題を考える」と題された緊急Zoomセミナーが開催され、アフリカ日本協議会代表理事の津山直子がファシリテーションを務め、先述の吉村に加えた南アフリカ在住の旅行会社関係者やNGO関係者4名が意見を交わした。貧困や治安悪化に特化した報道内容に対し、積極的なPCR検査の現状、ラマポーザ大統領のコロナ対応に対する評価、NGOや地域コミュニティの連携対応などといったNHK報道の切り口とは違う視点から、南アフリカの現状を共有した。

 現在、筆者もロックダウン下の南アフリカ・ケープタウンに滞在しているが、NHKの取材内容も現地在住者の見解も、どちらも南アフリカの物語だと考える。批判が浮上する背景には、日々多くのニュースが生み出されるなか、センセーショナルで「わかりやすい」ニュースが優先されがちという、とくにテレビというメディアが持つ構造的な問題がある。この例では、受け手は「社会崩壊寸前」というセンセーショナルな打ち出しや、貧困地域の様子、暴力的な「絵になる」映像に、アフリカのステレオタイプを重ね合わせて理解する。視聴者にとって、わかりやすく、シンパシーを感じやすい内容として構成されている。

 課題の構造を紐解く問題提起やインサイトが豊富な長文記事の配信でスロー・ジャーナリズムを実践する、オランダ発のウェブメディア「デ・コレスポンデント」は、自らを既存のニュース・サイクルの解毒剤と位置づける。創設者のロブ・ワインベルグが批判する問題は、ニュースが「センセーショナルで、例外的で、ネガティブな時事問題の報道でしかない」という点だ。今回のNHK報道から明るみになった課題の本質も、まさにこの点だろう。

◆アフリカン・リテラシーを高めるために
 2019年6月時点のデータで、世界銀行が定義する所得水準に応じた国分類において、サブサハラ・アフリカに位置するアフリカ48ヶ国のうち、高所得国として分類されるのはセーシェル1国のみ。残りの47ヶ国の新興国のうち、低所得国が50%、下位中所得国が35%、上位中所得国が13%という構成。一人当たりの国民総所得(GNI)に基づいた分類で、低所得国とはその数字が1,025ドル未満(約11万円)、下位中所得国とは3,995ドル(約43万円)以下、上位中所得国が12,375ドル(約134万円)以下と定義されている。こうしたデータを見ると、総合的に「アフリカは貧しい」とする認識が存在する現状も理解できる。

 しかし、これも「一人当たりの所得」という平均数値のシングルストーリーでしかない。欧米型の国際機関が管理するデータだけでは、アフリカの実状は見えづらい。よりローカルな切り口でのデータや、数値に代替するデータで世界を見ることも必要だ。「ファクトフルネス」の著者、ハンス・ロスリングの義理の娘、アンナ・ロスリング・ロンランドが開発した「ダラー・ストリート(Dollar Street)」というオンライン・ツールがある。所得水準の物差しで世界を一つの「道」と見立てて、その道に世界各国の家庭をマッピングしたもので、多様な地域の50ヶ国以上の家庭で撮影した家族、家、家財道具の写真が、所得レベル別に比較閲覧できるようになっている。このツールが提示するのは、世界の人々の生活スタイルの国ごとの多様性ではない。世界各国の人々の暮らしを所得別に見れば、各所得レベルにおいて、人々は世界のどの地域でも似たような暮らしをしているという事実だ。

「写真をデータとして使うことで、国に対するステレオタイプは簡単に崩壊してしまいます」とロンランドは言う。実際、このツールで、さまざまな所得層のアフリカの家庭の様子を知ることで、「アフリカは貧しい」という認識はシングルストーリーに基づくものでしかないことに、簡単に気付くはずだ。

 筆者は、アフリカ関連ではない日本のビジネスパーソンやメディア関係者と仕事をすることも少なくないが、残念ながら彼らの多くは、いまだアフリカは「遠いし、よくわからない」場所という感覚を持っているようだ。「よくわからない」アフリカに関する情報が、たまに入ってくるネガティブなニュースで補完されるだけでは、その理解が深まり、距離が縮まることは難しいだろう。

 インターネットやSNSの普及で、今後ますますメディアが増え、多様化することで、相対的にマスメディアが持つ影響力は限られたものにはなっていくだろう。同時に、私たちが「アフリカン・リテラシー」を高めるためには、偏りがちなニュース報道だけに頼らず、映画、文学、アート、ファッションといった文化的なものを含めた、さまざまな物語に接する必要がある。

「すぐれた文学作品というのは国や国境を越えて、個人と個人が対等に出会うための想像力を養うものなので、そのまま世界を見る窓にもなる」。これまでアディーチェ作品を7冊し、アフリカを軸にして世界を見る作品を紹介し続けている翻訳家、くぼたのぞみの言葉だ。

 シングルストーリーの危険性に陥らないために、まずはアディーチェの小説を読むことが第一歩かもしれない。

Text by MAKI NAKATA