平昌五輪:重くのしかかる閉会後のコスト問題 いまだ解決策見つからず
◆取り壊される施設
ソウル夏季オリンピックが開催された30年前の1988年、韓国国内の空気は今とはまったく違った。五輪に向け大掛かりな準備が進められることで、必然的にソウルが今のような現代的な都市へと形作られていった。
ソウルの漢江沿いには巨大なスポーツ複合施設と都市公園が出現した。続いて高速道路や橋、そして地下鉄が新たに建設された。旧商業地区とスラム街がブルドーザーで撤去された跡地に、高層ビルが立ち並んだ。
2度目のオリンピックでは、それほどわかりやすい遺産はないだろう。今の韓国では、大きなスポーツイベントがもたらすものに対する関心が薄く、建設されたものよりも、取り壊されたもののほうが記憶に残ることになるかもしれない。
人口約4万人の平昌郡に建設されたオリンピックスタジアムは、3万5000人を収容する絵画的な美しさを誇る5角形のアリーナだが、オリンピックおよびパラリンピックの開会式と閉会式に使用した後は、取り壊しが決まっている。
隣接する旌善郡には景観の美しい滑降コースがあるが、これも大会終了後に取り壊され、自然の状態に復元される。このコースの建設地は地元住民にとって神聖な森林であるため、環境保護団体からの批判を浴びて建設が遅れ、オリンピック前の試験イベントが延期になる恐れもあった。
江原道当局は韓国政府に対し、森林再建費用を一部負担してくれるよう請願している。費用は1020億ウォン(102億円)にのぼると言われている。