認知症の人との友情はお互いにとってメリットがいっぱい
◆孤独により悪化する重篤な疾患
アメリカでは認知症患者は、修辞学的にも隠喩的にもゾンビに形容され、認知症は多くの場合、生死の間に漠然と存在する状態として表現される。
そのような考えは認知症診断に通常伴う悪いイメージ、恐れ、恥の一因となることが多い。
そして、認知症が加齢関連の最も重篤な形の疾患であるとすれば、それは最もよく見られる疾患の1つでもある。この疾患は、71歳以上の人口の約14パーセントも侵している。認知症の発症率は年齢と共に増加し、70歳代では約5パーセントであるのに対し、80歳代では24パーセント、そして90歳代では約40パーセントもの人が発症している。
友人の認知症発症を経験した人はどのように感じ、どのように対応するのだろうか?近親者は多くの場合、認知症の困難に取り組むことを期待され、その努力をする。しかし、友人がどのような役割を果たすことができ、また、果たすべきなのかについてはあまり明らかになっていない。このテーマに関する研究はほとんど行われていない。
私は最近、認知症患者の友人がいると認める人々(および医療従事者と家族)とのインタビューに基づきある論文とある本の1章を公開した。
この調査の背景にある基本的な考え方は、認知症発症後に友人関係を維持する理由と方法を見出した人々から学ぶべき教訓がある可能性があることだ。そしてその教訓は同じような状況に直面している人々と共有することができる。認知症患者との友人関係を維持する友人は、この疾患に関する知識を習得し、予期しない方法で成長することができる。
調査は認知症を抱える人々との友情が一部の人に価値観、関心、意義、喜びを与えることを立証している。以下、その中から主なものを挙げる。
経験を通して認知症を抱える人々とうまく付き合う方法に関する具体的な知識を習得する。認知症が与える影響については非常に大きな個人差があり、認知症を患う人々とうまく交流するための指導書のようなものは存在しない。さらに、認知症患者の友人が開拓した技術やアプローチは他の人々が試してみる価値がある。
認知症について語る─言い換えれば、認知症を「話すのに適した」話題とすることは困難で気まずくなる場合があるが、認知症を語ることは、これを単に個人の問題として対処するのではなく、共同体として集団としてのアプローチをとる重要な第一歩となる可能性がある。
私がインタビューした人々は認知症を患う人々との友情を単に永続的なものというよりむしろ変化させることができる関係として表現している。
認知症の症状発症後も友人として付き合っている人々は認知症を悲しみや喪失と共に、学習、成長、予期しない贈り物などを含む個人的そして個人間の変化の推進力として表現している。