「世界の小澤」が私たちに遺してくれたこと
「世界の小澤」が世を去った。世界を目指す日本人の道標が、また一人旅立った。彼が存在しただけで、日本人でも西洋音楽界に入り込んでいいという許可証が得られたような気がしたものだった。彼が音楽を通して私たちに遺してくれたことを、薫陶を受けた後進の思い出をもとに考えてみたい。
◆小澤氏を失うということ
2月6日、小澤征爾が88歳で永眠した。そのニュースが流れた8日は奇しくも彼の古巣であるウィーン国立歌劇場で年に一度の伝統的な舞踏会が開かれていた。舞踏会終了後、劇場内は喪に服すデコレーションがなされたという。
隣国スイスでは翌9日、大手メディアでもページ数を割いて、心のこもった報道がなされた。
『指揮台の上での気性の激しさ、練習での正確さ、親しみやすさ、そして謙虚な姿勢が特徴的な日本人は、世界のトップの舞台から謙虚に始めていった。そして今、88歳の小澤は東京で死去した』(ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング紙)
『日本の指揮者・作曲家の小澤征爾氏が88歳で亡くなった。シカゴ、トロント、サンフランシスコのオーケストラで活躍。2002年にはウィーン国立歌劇場に移る』(SRFスイス国営テレビ)
彼がもうこの世にいないということを実感したその時、心の中にこんな不安がよぎった。「小澤さんなしで、これから日本人はどうすればいいのだろう」