ディオールのアフリカ開催のショー、なぜ論争を巻き起こしたのか?
◆ファッションの魅惑と政治性
ファッションは美しく、楽しく、インスピレーションを与えるものである一方、政治的な表明ツールでもある。ファッション(もしくはファッションを含めた芸術表現)が持つこの二面性こそが、今回のディオールのコレクションの論争の根底にあり、こうした論争はこれからも起こり続けるであろうと考えざるを得ない。
ニューヨークタイムズ紙のベテランファッションジャーナリスト・評論家のヴァネッサ・フリードマンは、ディオールは「ある程度」うまくやったといった評価を下す。キウリがアフリカの布に詳しいフランスの人類学者アンヌ・グロフィレイのアドバイスを受け、コードジボワールの工場へ赴き、現地のアフリカのクリエイターらと協業した事実を認識する一方、最終的にそうしたことが消費者に伝わるのかどうかについては疑問を示す。また、それが消費者に伝わるか伝わらないかということは、実はディオールにとって、それほど重要ではないのかもしれないといったことも示唆する。
アフリカ系のカルチャーやニュースを発信するNYベースのウェブメディア『OkayAfrica』は、SNSや他メディアの評価と批判の両方の意見を紹介するに留まった。一方、ナイジェリア発のカルチャー系ウェブメディア『Bella Naija』は、現地とのコラボレーションに言及しつつも、植民地主義的な権力構造を指摘するとともに、「アフリカ」が単一的なインスピレーションの源泉として、簡易的に使われてしまっていることに対して反発した。
ところで日本語のメディアでは、日本語版Harper’s BAZAAR、Vogue Japan、Fashionsnap.comなどにおいて、ウェブにて本コレクションに関する記事が公開されていたが、筆者が知る限りにおいて、この論争についての言及はなかった。
Fashionsnap.com では、「コレクションを象徴するのはアジア・西洋との文化・産業融合から生み出されたアフリカ独自の布地アフリカンワックス」という表現があった。Harper’s BAZAAR では、「(アフリカンワックス)の多次元的な起源と発展を研究している人類学者、アンヌ・グロフィレイによると、アフリカン ワックスの驚くべき歴史は家系図のように広がり、ヨーロッパからアジアへの旅は遠くアフリカへと続くのだという。アフリカン ワックスが称え、つなぎ合わせることで織り成される、豊かな多様性。マリア・グラツィア・キウリはラグジュアリーブランドとして初めて、コートジボワールにあるUniwax(ユニワックス)社の工場とスタジオとのコラボレーションを実現」とディオールの日本語版からの情報をそのまま発信している。
上記のような表現は、ファッション・メディアの発信としては普通かもしれないが、前項で紹介したようなアフリカンワックスの歴史的背景や論争を踏まえると、あまりにもナイーブでロマンティックすぎる表現にも思える。
異文化にインスピレーションを得た創造がなくなることはない。それは、歓迎すべきことでもある。ファッションブランドにせよ、メディアにせよ、個人にせよ、他者から学び続け、対話と発信を継続していくことしかできないのだろう。
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