「若い人、北斎に注目」英国人も感銘を受ける北斎の哲学 大好評の北斎展

 先月25日からロンドンの大英博物館で開催中の葛飾北斎展「Hokusai beyond the Great Wave」だが、各紙レビューでも軒並み4つ星、5つ星を得て、絶賛されているようだ。8月13日までの展示で(7月3日から6日が休館、後半の展示品と入れ替えられる)常時約110点が展示されるが、大英博物館の虎の子で、2008年に購入されたものの、保護のためにほとんど表に出ることのなかった『神奈川沖浪裏』The Great Wave off Kanagawaは開催期間を通して展示される予定だ。

◆人間 北斎
 当時、江戸は世界一の大都市。ヨーロッパの識字率が40%にすぎなかったころ、日本人の識字率は約80%だった(エコノミスト1843)。そんなヨーロッパが日本の洗練された文化に魅了されたのも無理はないだろう。北斎が西洋の名だたる芸術家に影響を与えたことには各紙が必ず言及している。なかでも西洋での評価が最も高く、北斎のアイコン的存在になっているのが『神奈川沖浪裏』だが、ドビュッシーはこの図案にインスピレーションを得て『海』を作曲したと言われている。

 インディペンデント紙は、「敬虔な仏教徒たちの聖地である富士山そのものを見ると、朝から午後遅くへと1日の異なる時間帯で 移り変わるように、赤かったりピンクだったりする。ルーアンの大聖堂の前で1日のさまざまな時間帯に描いていたときモネの見たものを思い起こさせる。これらの版画に、ゴッホにあれほどの深い影響を与えた男の姿が見える。ヨーロッパからの新しい輸入品であるプルシアン・ブルーの使い方を見てみよう」と、北斎と西洋を関連付けている。

 テレグラフ紙は「本展覧会は、これほどかけ離れた文化的人物から通常得られると期待するよりもはるかに鮮明で身近な感覚を与えてくれる。北斎の、その名声にもかかわらずたいていは一文無しで、同じく絵師でもある娘の応為といっしょに長屋を移転しまくる、ちょっと風来坊的な暮らし方もわかる」と述べる。

◆北斎と富士信仰
 巻き込むように立ち上がる波のトンネルの向こうに見える富士の絵は西洋に強烈なインパクトを与えた。本展覧会はそのタイトルbeyond the Great Wave「大波の向こう」でもわかるとおり、『神奈川沖浪裏』を含む『富嶽三十六景』をおよそ72才という高齢で制作した北斎の、さらに晩年に注目したものだ。

 日本人の愛好家なら、北斎が不老不死の境地を目指していたことには馴染みがあるかもしれない。70才までに描いたものはすべて取るに足らぬと言い、寿命50才と言われていた当時100才を目指して切磋琢磨していたことを、海外紙も高く評価している。エコノミスト1843は「若い人、よく聞いて!」と呼びかけ、年老いるほど良いという、現代にも通じる北斎のフィロソフィーに言及している。

 もう一つ注目されているのが「富士信仰」との関連だ。ガーディアン紙の記者は「北斎の富士山に対する固執は彼の芸術家としての不滅への切望の一部だ——仏教と道教の伝統では、その名を好んで『不死』と同義にするように、富士には不死の秘訣があるとされている」と分析し、同紙記者や、またテレグラフ紙の記者が、実際に富士を訪ね、北斎に影響を与えた風景を追っている。

 同展覧会の幕開けを記念して開催された二日間のシンポジウムでも、ブラウン大学のジャニーン・サワダ教授が北斎の作品を富士信仰と絡めて分析していた。

◆ 文化交流の先駆者
 ガーディアンからはレビューも複数出ているが、あるレビューは5つ星であるのに対し、あるものは3つ星とやや評価が下がった。5つ星のほうでは「北斎は年を重ねるごとに作品が力強さを増すと信じていたが、この眩いばかりの展覧会を見るとそのとおりに思える」とする一方で、3つ星のほうでは「大英博物館の、日本芸術の最も素晴らしい巨匠の1人の真に人間的な像を描き出そうという野心的な試みは、残念ながら中途半端に終わっている」とし、これを「『キュレーターの考えすぎ』の悪いケースだ。私たちを北斎に近づける代わりに、北斎晩年への些細で学術的な固執に陥っている」と分析する。(ただしこのレビュアーは「若い頃の作品は文句のつけようがないほど素晴らしい。もっとそういったものが見たかった」としているので、単に好みの問題かもしれない)

 ただ、そう批判しながらも、「北斎の独創力の波がいかにクロス・カルチュラルな芸術的対話に結び付いたかを見るのは素晴らしい」とし、北斎が現代芸術に与えた影響は紛れもなく評価している。ここでも『神奈川沖浪裏』でのプルシアン・ブルーの使い方に言及している。

 1704年にプロイセンで発見された科学色素プルシアン・ブルーは通称「ベロ藍」とよばれている。インディペンデント紙やガーディアン紙は上記のように「欧州からの輸入」としているが、近年の研究でその後の多くは中国から輸入されていたことがわかってきている。(余談だが、先月は1802年のコバルト以来初の発見である新種の青「YInMnブルー」をクレヨラ社が新色クレヨンとして発売するとして話題となった)

 本展覧会は 10月6日から11月9日まで大阪のあべのハルカス美術館にて「北斎 -富士を超えて-」として展示される。

Text by モーゲンスタン陽子