ブルガリアから東アジアへ。日本のヨーグルトカルチャーの創造

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◆長寿の追求
 明治は60年代後半、日本市場向けにブルガリアスタイルのヨーグルトを開発する方法を検討し始めた。

 当時、日本で購入できるヨーグルトといえば甘く、ゼリーのような舌触りをもつ熱処理された発酵乳タイプしかなかった。株式会社明治によると、明治ハネーヨーグルト、雪印ヨーグルト、森永ヨーグルトは80グラムの小瓶入りで販売され、おやつやデザートとして食されたという。

 ブルガリアで一般的に食されるような生きたブルガリア乳酸杆菌(Lactobacillus bulgaricus)の入ったプレーンヨーグルトは存在しなかった。

 明治ブルガリアヨーグルトプロジェクトのスタッフだった1人は、1970年に開かれた大阪万博のブルガリア館で展示されていたプレーンヨーグルトを試食した時に受けた感銘を今でも覚えていると話してくれた。それは奇妙で強烈な酸味だったという。

 だがプレーンヨーグルトには強力な利点があった。それは確実に寿命が延びることだった。20世紀初頭、ノーベル賞受賞のロシア人科学者イリア・メチニコフ(1845-1916年)は大腸内の毒素細菌が老化の原因だとする理論を展開し、乳酸菌がその毒素を中和し、加齢のプロセスを遅らせることを突き止めた。

 そして、メチニコフはブルガリアの自家製ヨーグルトから分離したブルガリア乳酸杆菌の圧倒的な効果を称賛し、毎日ヨーグルトを食べることを推奨した。

 この神話は今もなお健在だ。ブルガリアで現地調査を行った際、ブルガリア菌はいかに強力か、ブルガリア菌でいかに美味しく健康的なヨーグルトが作れるかという同じ話を幾度も聞いた。

 ある年配の婦人は娘が大病から回復したのは自家製の山羊乳ヨーグルトのおかげだと考えていた。

 「この桿菌があるからこそブルガリアのミルクなんですよ。若い頃はあまりヨーグルトを食べなかったけれど、今じゃ毎日食べているから血圧も正常になったし、とても元気なの!」、と彼女は語った。

Text by The Conversation