『ゴジラ-0.0』レビュー 怪獣映画の醍醐味を人間ドラマが踏みつぶす ★★☆☆
映画『ゴジラ-0.0』のワンシーン|GKIDS via AP
※この記事には、映画『ゴジラ-0.0』のストーリーに関するネタバレが含まれます。
ゴジラでさえ、昔ながらの落とし穴にはまることがある。いわゆる「2作目のジンクス」だ。
ゴジラは半世紀以上にわたって暴れ回ってきたが、『ゴジラ-0.0』は続編に当たる。前作は、アカデミー賞を受賞した傑作『ゴジラ-1.0』。ゴジラを戦後日本という原点に立ち返らせ、シリーズを再出発させた作品だった。
監督・脚本・視覚効果(VFX)を手がける山崎貴の、ゴジラのうろこに覆われた体や当時の日本の空気感を描き出す手腕は、今回も見応え十分だ。物語の舞台は前作から2年後の1949年。前作と同様、等身大の人間ドラマと、怪獣が街を踏み荒らす壮大なスペクタクルを融合させている。
しかし、『ゴジラ-0.0』では、そのバランスが微妙に崩れている。地上で繰り広げられる人間ドラマが映画の中心を占めすぎており、膨れ上がった物語が作品全体を間延びさせている。観客は、あの巨大な怪獣が再び姿を現すのを待ち望むようになる。実際にゴジラが登場すれば、映画には必要な轟音と迫力が戻ってくる。だが、長い上映時間のあまりにも多くの部分に、野心を詰め込みすぎた続編にありがちな空回りが感じられる。
物語は、元特攻隊員の敷島浩一(神木隆之介)、妻の典子(浜辺美波)、幼い娘の明子(永谷咲笑)の姿から始まる。第二次世界大戦による心の傷と喪失感は、いまだ社会全体を覆っている。明子が通う学校には戦争で親を亡くした子供が大勢いるため、両親は娘を迎えに行く際、あまり大喜びしないようにと言い聞かせる。
1954年に誕生したゴジラは、原子爆弾の寓意として生まれた。しかし、数十年にわたってシリーズが続くうちに、怪獣映画はその誕生の背景にあった悲しみとのつながりをしばしば失っていった。山崎監督による東宝の日本語版シリーズの再生が最も称賛されるのは、限られた予算で実現した迫力ある映像表現だろう。だが、この原点回帰の試みは、戦争によって打ちのめされ、深い傷を負った戦後日本の人々の精神状態を再び描き出すことにも、同じくらい重きを置いている。
そのため、稲妻を放つ竜のような怪獣ギドラが現れると、その破壊の跡は、過去のトラウマが再びよみがえったかのように映る。広島への原爆投下で家族を失い、前作『ゴジラ-1.0』では東京・銀座が壊滅する光景を目撃した村上寛治教授(田中泯)は、ギドラが松本市を破壊する様子を目の当たりにし、まるで心的外傷後ストレス障害(PTSD)によるフラッシュバックを経験しているかのようだ。
村上は『ゴジラ-0.0』の中心人物ではないが、最も興味深い登場人物かもしれない。占領軍のアメリカ人に対する激しい怒りと復讐心が、物語に政治的な側面を加えている。前作には登場しなかったアメリカ陸軍は、今回は自国の利益しか考えず、日本が直面する新たな危機に関わろうとしない存在として描かれる。
そのため、ギドラを阻止する役目は、海軍技術者の野田健治(愛嬌のある風変わりな人物を演じる吉岡秀隆)が率いる寄せ集めのチームに託される。そこには、天候の変化から怪獣の動きを予測できる気象予報官、青山眞琴(長澤まさみ)という新たな仲間も加わる。浩一と典子も、ためらいながらこの作戦に参加する。しかし、それは娘を置いていくことを意味し、おそらく二度と会えなくなる。2人にとって、身を引き裂かれるような決断だ。
『ゴジラ-0.0』が人間に焦点を当てようとする姿勢は評価できるものの、どの登場人物にも、それほど大きな比重を担うだけの深みがない。彼らが思い悩み、話し合う場面は、しばしば不自然で大げさに感じられる。一方、観客は戯曲『ゴドーを待ちながら』さながら、ゴジラの登場をじれったい思いで待ち続ける。映画がさまざまな問題に真摯に向き合おうとするなかで、最も悲劇的で、最も深い意味を持つ登場人物は、やはりゴジラなのだ。姿を見せない時間が長いほど、その不在を寂しく感じずにはいられない。
『ゴジラ-0.0』には、怪獣による大規模な見せ場が2つある。怪獣同士のド派手な戦いを期待する人にとっては、いささか物足りない数だ。もっとも、その両方が最初の見せ場ほど優れていれば、十分だったかもしれない。映画中盤に登場する空中戦のシーンは、実に爽快だ。
山崎監督は、奥行きのある映像を使って恐怖を生み出す名手であることを証明してきた。そこに佐藤直紀による脈打つような音楽が加わると、その効果はいっそう高まる。画面の手前に水上飛行機を、奥に姿を現すゴジラを配置する。その映像だけでも、映画館に足を運ぶ価値がある。IMAXの大画面であれば、なおさらだろう。
とはいえ、ゴジラ映画がすべてクライマックスに向けて盛り上がっていくものだとすれば、『ゴジラ-0.0』は最後の着地を決められていない。ギドラとゴジラが対決する場面では、戦闘がぎこちなく、演出にも不自然さが目立つ。本来なら痛快な大暴れになるはずの場面が、怪獣たちの周囲で動き回る地上の人間たちを描くことで、勢いを失ってしまう。高層ビルほどの大きさを持つ怪獣たちと、人間の登場人物たちを同時に描くのが非常に難しい仕事であることは確かだ。しかし、それこそが『ゴジラ-0.0』の目指していることなのだ。
『ゴジラ-0.0』が、映画『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドのように、最大の呼び物であるゴジラの登場をぎりぎりまで引っ張っているのは、意図的なのかもしれない。苦悩と陰鬱さに満ちた山崎監督のこの作品には、確かに「第2幕」のような雰囲気がある。そこでは、日本人は単に怪獣の脅威に対処するだけでなく、絶え間なく続く環境災害という現実を受け入れようともしている。
もし3作目が製作されるなら、その続きを見たいと思わせる程度には、今回の作品も観客の期待をかき立てている。ただし、その場合は『ゴジラ マイナス・マイナスワン』という、マイナスが二重になるタイトルをどうするか、数字の問題を解決しなければならないだろう。
『ゴジラ-0.0』は日本で公開中。上映時間は135分。AP通信のジェイク・コイル記者による評価は4点満点中2点。
By JAKE COYLE AP Film Writer





