アジア人揶揄の「つり目」ポーズ、なぜなくならないのか(コラム)

Phovoir / shutterstock.com

 今月19日、米連邦最高裁はオレゴンを拠点とするアジア系アメリカ人ロックバンド、The Slants(ザ・スランツ)の申し立てを認め、バンド名の商標登録を認めないとする特許商標局の判断を無効とした。

 商標登録を巡る8年にも及ぶ係争の争点は、その名称「スラント」にあった。英語でslant eyes「つり目」は、アジア人に対する蔑称とされるからだ。バンドの勝訴については日本でも「言論の自由の勝利」として報道された。

 係争についてはさておき、スラント・アイズがニュースを賑わすのはそうめずらしいことではない。そもそも、スラント・アイズとは何なのか。なぜ頻繁にニュースに登場するのか。

◆くりかえされる侮辱行為
「スラント・アイズ」を調べるとepicanthic fold「内眼角贅皮」という用語に行きつく。目頭を覆う上まぶたのひだで、アジア人だけでなく欧米人、とくに北欧でも見られるようなので、アジア特有というわけではないようだが、そのような医学的な根拠よりも、slant「斜め」という単語の持つニュアンスからアジア人の目を意味するようになったのだろう。

 ザ・スランツに関する日本の報道ではコメント欄に「(彼らは)『つり目』というより『たれ目』だ」という意見も見られたが、角度はともかく、アジア人の細い目を指す。目尻を横に引っ張って細くする、いわゆる「キツネ目、ニャンコの目」ジェスチャーは、アジア人に対する侮辱行為の典型だ。

 現在、北米の都市部でそのようなジェスチャーを見かけることはまずない(そんなことをしたら大問題になるだろう)。一方、大陸ヨーロッパでは、子供たちがアジア人に対してスラント・アイズのジェスチャーをすることがある 。

 子供だけならまだしも、大人の著名人もするのだからたちが悪い。古いところでは、2008年の北京オリンピックの前に、バスケットボールのスペイン男女代表チームがともにスラント・アイズのジェスチャーをして新聞に登場し、2009年には米ポップスターのマイリー・サイラスが同様の写真で物議をかもした。近いところでは先月、中国のサッカークラブでプレーするアルゼンチン代表のエセキエル・ラベッシ選手が、今月はじめには韓国で開催されたU-20ワールドカップでウルグアイ代表のフェデリコ・バルベルデ選手が、さらには、来年日本で開催される世界選手権本戦出場を決めた女子バレーボールのセルビア代表が、同様の行為をして非難されている。

 アメリカ人であるマイリー・サイラスは意外だが、ここにはやはり欧州的な文化が垣間見えるような気がする。彼らはたいてい謝罪に追い込まれ、その度に「悪気はなかった」「侮辱するつもりはなかった」と同じ言い訳をする。スペインチームに至っては「親愛を込めた行為だった」と弁明した。まるで子供の屁理屈のようだが、筆者には彼らが「本当に悪気はなかった」ように思えるのだ。だからいいと言っているわけではない。むしろそれこそが問題だと思う。

 たとえばイタリア北部で、教会が主催する料理教室で中華料理を作った子供たちが全員誇らしげにスラント・アイズをして会報に載っていたという話を聞いた。さもありなんと思う。彼らは本当に、「どうしてそれがいけないことなのかわからない」のだ。
 
◆「何気ないレイシズム」
 土地と人との相性は人それぞれだと思うが、筆者が北米の都市部で心地よく感じるのは、「言っていいことと悪いこと」の基準が自分自身のそれと近いからだ。学校、家庭、社会の教育の成果だと思う。一方欧州では、思ったことなら何でも口に出して構わないような風潮がある。

 欧州以外の地域に対する無知も目につく。アメリカ人はハンバーガーしか食べないと思いこんでいる人は少なくないし、筆者も、コーヒーを求めているのにしつこくお茶を勧められたり、パンの味の違いがわかるかと訊かれたり、中国語がわかると無理に認めさせられようとしたことがある。ベビーカーに横たわる筆者の赤ん坊を眺めて、「アジア人は目が小さい」と娘に説明する男性もいた。筆者の子供の目は小さくないが、たとえ小さかったとしても、他文化を説明するのに身体的特徴をとりあげるのは時代錯誤のように思われる。欧州でよくあるこれらの出来事について、最近やっとしっくりくる言葉を聞くようになった。casual racism「何気ないレイシズム」だ。オーストラリア人権委員会のウェブサイトではこれを、「人種、肌の色や民族に基づくネガティブなステレオタイプや偏見を含む行為。冗談、軽率なコメント、そして人種を根拠に社会状況から人々を疎外することを含む」と定義している。

◆悪気がなければいいのか
「悪気がなければいい」という思い込みも厄介だ。わかりやすい例は、欧州委員会のドイツ人政治家ギュンター・エッティンガー氏の昨年の発言だろう。中国人をスラント・アイズ呼ばわりしたことについて、スラングを用いただけで侮蔑の意はないという趣旨の発言をし、謝罪することを拒んだ(ポリティコ)。

 最終的には氏も謝罪したのだが、この「自分に悪気はないので謝らない、悪くとる相手が悪い」という考え方も、こちらではめずらしくない。自分の意図がどうであれ、相手を不愉快にさせたのなら謝る……というのは幼稚園で最初に学ぶことのはずなのだが。

 スラント・アイズのニュースがなくなるのは遠い日のことなのかもしれない。

Text by モーゲンスタン陽子