「追悼する気にはなれない」英旧植民地、エリザベス女王の訃報に複雑な思い

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 エリザベス二世は1952年に女王に即位した際、不本意なものも含め世界中に広がる数多の難題を受け継いだ。大英帝国の植民地だった国々では、女王の訃報に接し怒りを含む複雑な感情が生まれている。

 女王の長寿と献身に対して表向き哀悼の意を表しているが、アフリカ、アジア、カリブ海の諸国では過去に対する苦い思いがいくらかみられる。奴隷制度だけでなくアフリカの学校で受けた体罰、イギリスの博物館などに保管されている略奪品など、植民地主義の遺産が話題にのぼる。多くの人からすると、70年にわたる治世下において、女王はそれらすべてを象徴する存在だった。

 若き日のエリザベスが数十年前に父の死を告げられ、女王としての計り知れない役割を自覚したケニアでは、1956年に撮影された色あせた文書の画像が弁護士のアリス・ムゴ氏によりネット上に公開された。女王の治世になって4年目に発出されたこの文書には、植民地支配に反抗するマウマウ族に対する厳しい弾圧の模様が記されており、「移動許可証」の記述が見える。10万人以上のケニア人が劣悪な環境下で収容所に送られた一方、ムゴ氏の祖母などは、外出するのにイギリス当局の許可をもらわなければいけなかった。

 ムゴ氏は女王が死去した9月8日、「多くの祖先が抑圧されていた」とした上で「(女王の死を)追悼する気にはなれない」とツイートした。

 だが、9月に任期を終えたケニアのウフル・ケニヤッタ大統領はほかのアフリカ諸国の首脳と同様に、過去の問題を蒸し返すことはしなかった。同氏の父はケニアの初代大統領ジョモ・ケニヤッタ氏だが、1964年の大統領就任前にエリザベス女王統治下で投獄された過去を持つ。だが、ウフル・ケニヤッタ氏は「今世紀と前世紀で最も象徴的な人物だった」と女王を偲んだ。

 怒りの声は、一般市民からも聞かれた。奴隷制度など過去の蛮行に対する謝罪を求める人もいれば、形のあるものを要求する人もいた。

 ジャマイカにある賠償関係評議会で委員を務めるバート・サミュエルズ氏は「コモンウェルス(イギリス連邦)といっても、その富はイギリスのものだ。富がシェアされることは決してない」と話す。

 エリザベス女王の治世下には、ガーナからジンバブエにおよぶアフリカ諸国、カリブ海の島国、アラビア半島の端にある国々が苦闘の末に独立を果たした。

 エリザベス女王は、大英帝国から歴史と言語でつながりのある56ヶ国から構成される政治コミュニティであるコモンウェルスへの移行を、おおむね平和裏に実現した君主とみなす歴史家もいる。だが一方で、隷属させた人々を尊重しないことも多かった国の象徴でもあった。

 中東地域では、彼女の死に対して国民が嘆き悲しむ様子はなく、無関心ですらある。この地域の国境を定め、現代にいたる多くの紛争を引き起こした植民地支配の責任はイギリスにあると考える人がこの地には多い。ガザ地域のハマス支配者は9月10日、パレスチナ人を抑圧したとされるイギリスの委任統治の決定を「修正する」よう、チャールズ3世に求めた。

 民族が分断されているキプロスでは、1950年代後半にイギリスの植民地支配に反対して起きた4年におよぶゲリラ活動や、イギリス当局が9人を絞首刑に処するという苦境の際、女王が冷淡な態度を見せたことを多くのギリシャ系キプロス人は忘れていない。

 キプロス戦闘員国家組織協会のヤニス・スパノス会長は、キプロス島での悲劇に対して女王の「責任は免れないと多くの人が思っている」と述べている。

 女王が死去されたいま、植民地時代の過去に対処しようとする(あるいは蓋をしようとする)新たな取り組みが始まっている。

 インドではモディ首相のもと、植民地時代の名称や象徴を撤去する動きがある。インドの長期にわたる発展はめざましく、経済規模ではイギリスをすでに凌駕している。

 ニューデリーに住む起業家のディレン・シン氏(57)は「インドは世界最大の民主主義国家だから、ここに国王や女王が入る余地はない」と話す。

 エリザベス女王に対しては、彼女が生まれた境遇と突きつけられた現実にいくらか同情する向きもあった。

 ケニアの首都ナイロビに住むマックス・カヒンディ氏は、マウマウ族の反乱については「とても苦い」思い出があり、年上の人々が拘束されたり殺害されたりしたことを覚えている。だが、同氏は「当時の女王はまだ若く、周りの人達が国を動かしていたのだろう。あの時期に我々が受けた苦しみの責任をすべて女王に帰することはできない」と語る。

 ウガンダの政治アナリスト、ティモシー・カリェギラ氏によると、アフリカ諸国のなかには植民地時代の経験からコモンウェルスにいたる「精神的なつながり」が続いているところもある。同氏は「いまは苦しみの時であり、過去を偲ぶ時期でもある。女王の威厳にあふれた人柄と長寿、そして世界情勢で英語が中心的な役割を果たしていることは、一部の批判を和らげるほどの力がある。女王は世界の母以上の存在とみなされているのだ」と述べている。

 また、イギリス王室を国の最高権威から外す決定を下した一部のカリブ海諸国でも、複雑な見方が広がっている。

 ジャマイカにある西インド諸島大学で開発経済学を教えているマジキ・テーム氏は「ここには矛盾した考え方がある」と話す。ジャマイカの首相は今年、今や王位継承者となったウィリアム王子とキャサリン妃が同国を訪問した際に、イギリスから完全独立を果たす意志を伝えていた。

 テーム氏によると、若い世代の王室メンバーは植民地主義が持つ意味合いを敏感にとらえている。ジャマイカ訪問中、ウィリアム王子は奴隷制度に「深い悲しみの気持ち」を表明されたという。

 活動家のナディーン・スペンス氏がみるところによると、「エリザベスはジャマイカ国民を見守ってくださる慈悲深い女王」というイメージをイギリスから与えられていたため、年配者が女王を敬うのは驚くことではないが、若い世代は王室に畏敬の念を持っていないという。

 同氏は「女王の訃報に接して私が注目したのは、女王は奴隷制についての謝罪がなかったということだ。女王は謝罪をするべきだった」と語る。

By CARA ANNA, DANICA COTO and RODNEY MUHUMUZA Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP