北朝鮮はなぜ戦争孤児6000人を欧州に送ったのか その後の消息も謎

Jarosław Łukaszewski / Wikimedia Commons

◆いっぱいの愛情を 子供たちを支えた教師たち
 なかでもポーランドは、1200人以上の孤児たちを静かな森に囲まれた村、Plakowiceに受け入れた。彼らはここの孤児院で、300人のポーランド人教師のもと、1951年から1959年まで生活している。当時のポーランドは、第二次大戦で大きく破壊され、国民自体が貧しい生活を強いられていた。外国人受け入れで反感を買わないよう、孤児院はできるだけ人目に触れないようにされていたということだ(コリア・ヘラルド)。

 孤児たちはすぐに環境に馴染み、言葉も覚え、のびのびと暮らした。同行してきた北朝鮮の監督者は、子供たちの人格形成に影響が出ることを恐れ、「愛情と甘いもの」は与えてはいけないとポーランド人教師たちに指導したという。しかし教師たちは、わが子同様に孤児たちに接し、愛情たっぷりに育てていた。歴史的に厳しい環境に生きてきたこと、またカトリック教徒であることが、ポーランド人の人道的行為につながったのだろうとコリア・ヘラルドは述べている。子供たちも、教師たちをパパ、ママと呼び、強い絆で結ばれていたという(コリア・タイムズ)。

◆帰国は復興のため? 謎に包まれた孤児たちのその後
 1956年にポーランドの孤児院を訪れた当時の北朝鮮リーダー、金日成主席は、戦後の復興にその知識を生かすため、しっかり勉強するよう孤児たちに伝えたという。その言葉通り、東欧にいたすべての孤児たちは、復興に参加するためという名目で、1959年までに北朝鮮に連れ戻された。

 北朝鮮孤児たちの研究をするヴロツワフ大学のLee Hae-sung教授によれば、帰国したPlakowiceの孤児たちと孤児院の院長の間で、1960年までは手紙のやり取りが続いたという。国をあげての復興に動員され、北朝鮮の苦しい生活に不満を漏らす内容もあったとのことだ。しかし、その後突然孤児たちからの手紙は途絶えてしまう。その理由は明らかではない(コリア・タイムズ)。

 ボイス・オブ・アメリカによれば、研究者が戦後の北朝鮮と欧州共産圏の秘密警察間のやり取りを調べた結果、1950年代にポーランドに送られた北朝鮮の子供たちに関する資料が出てきた。記載された孤児たちの情報から、北朝鮮だけでなく韓国の孤児たちも含まれていることもわかったという。

 この研究の共同著者である人権団体の副事務局長、Joanna Hosaniak氏は、孤児たちが誰だったのか、どのようにしてポーランドまで連れてこられたのか、目的は何だったのか、朝鮮半島に戻った彼らが何をしていたのかなど、不明なことが多いと述べる。一つの可能性として、孤児の教育だけでなく、軍事的支援のために欧州の共産圏を朝鮮戦争に巻き込むような、より大型の計画に孤児たちが組み込まれていたとも考えられるとしており、謎は深まるばかりだ。

Text by 山川 真智子